笠寺観音(笠覆寺)玉照姫がつなぐ寺(泉増院)・御朱印と見どころ紹介

笠寺観音西門アイキャッチ画像

私がよくお参りをする笠寺観音(笠覆寺)と泉増院についてご紹介します。

名古屋市南区に位置する笠覆寺(りゅうふくじ)は、尾張四観音(おわりしかんのん)の一つで、「笠寺観音」として知られています。

笠寺観音は名古屋観光の定番のスポットであり、年間を通して多くの参拝者で賑わっています。

毎月6日・16日・26日の境内で開催される「六の市」では、地元の特産品やお土産を楽しむことができます。

境内には名古屋市指定文化財の本堂や玉照堂、山門(仁王門)、そして「尾張三名鐘」として愛知県指定文化財に指定された梵鐘(ぼんしょう)などの見どころがあります。

この記事では、笠寺観音の歴史や見どころ、御朱印、基本情報、アクセス情報、泉増院見どころや、「玉照姫の由来」などを紹介しています。

笠寺観音に興味をお持ちの方や、お参りを検討中の方におすすめの記事です。

節分会前夜祭にも行ってきたので写真をさっそく掲載しました。

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目次

笠寺観音の歴史

笠寺観音本堂
笠寺観音本堂
history1:天林山小松寺の起源

天平五年(733)または天平八年(736)に、呼続の浜辺に不思議な光を放つ浮木が漂着しました。

付近の人々は、夜な夜な光輝くその木を恐れました。善光上人は夢のお告げで、その浮木を彫って十一面観世音菩薩の尊像を作ります。

そして、約650メートル南の粕畠(かすばた)に小松寺を建て、そこに観音様をお祀りしたそうです。

history2:玉照姫・兼平公ご夫妻と寺の復興

数百年が経過し、小松寺は荒れ果て、観音様は風雨にさらされました。

当時、鳴海(現在の名古屋市緑区)の富豪に仕えていた女性が、雨の日にずぶ濡れになった観音様を見て同情し、かぶっていた笠を観音様にかぶせました。

後に都の貴族である藤原兼平公がその優しい心を見抜き、この女性(玉照姫)を妻として迎えます。

この夫妻の縁により、彼らは現在の場所に寺を再建し、寺の名前を小松寺から笠覆寺(りゅうふくじ)に改めました。

笠寺という地名は、笠寺観音の名からきているそうです。

history3:鎌倉時代阿願上人による寺の再興

時が経つにつれて笠覆寺は再び荒廃しました。鎌倉時代、1238年に僧の阿願上人が発願し、寺の再興が始まりました。この際には諸堂や塔が建てられ、寺はかつての輝きを取り戻します。

特に鐘楼(しょうろう=鐘つき堂)に安置されている梵鐘はこの時期に造られました。

尾張三名鐘の一つとされ、愛知県指定文化財に指定されています。今でも毎年12月31日の大晦日には多くの参詣者がこの梵鐘を打ち鳴らし、その音が辺りに響き渡ります。

history4:近代に入っての再建

現在まで幾度か再建され、今あるの堂塔は江戸時代に建てられました。

明治時代までには建物、尊像、宝物、什物、土地などが散逸しました。

第二次世界大戦の終戦までには、境内にあった松の木も戦争や資金難から伐採されました。

戦後しばらくして住職となった政識和尚は、19歳だった大正年間から各地で托鉢を行い浄財を集め、本堂の修繕につとめました。

和尚は住職としても、名士、山崎文次氏などの支援を受けつつ、本堂の修繕・改修や山容整備を進め、さらに鉄道整備に伴う移転墓地の受け入れのための境内利用も認めました。

寺は、今後も改良の計画を進めていくそうです。

笠寺観音オフィシャルウエブサイト 山案内 笠寺慨史より参照

泉増院「笠寺縁起」

泉増院山門
泉増院山門

泉増院のパンフレットに掲載された笠寺縁起「玉照姫の由来」の話があるので紹介します。

玉照姫の由来

笠寺縁起「玉照姫の由来」
笠寺縁起「玉照姫の由来」

美濃の国野上に住む豪族、美濃守重満(みののかみしげみつ)の娘玉照姫は、とても美しいことで知られていました。

ある日、成高という男が美人の評判を聞きつけ、彼女を手に入れようとし、鳴海の家に連れ帰ります。

成高の妻は美しい姫をねたみ、彼女を女中として働かせました。

他の召使いも姫にいじわるをして苦しめましたが、玉照姫は、信仰の力で耐え抜きました。

ある雨の日、十一面観世音菩薩が立っているのを見て哀れに思い、玉照姫は自分の笠を使って仏像の頭を覆いました。

泣きながら「衆生の厄難を除く、との誓願空しからざれば、あわれ現世の苦を免れしめ、未来の果報を得さしめ給え」と祈りました。

しかし、その後もいじわるは絶えませんでしたが、玉照姫は観音菩薩を念じて耐え続けました。

その後、藤原兼平公に救い出され、夫婦は京で、幸せな生活を送りました。

晩年、過去の厄難を乗り越えた感謝と、亡夫兼平公の菩提のために星崎に下向し、観音のお堂と僧坊を建立し、大供養を行いました。

玉照姫は観音信仰によって長寿を得たとされています。

玉照姫奉安の由来

泉増院の七世実道上人の夢の中に玉照姫が現れます。

「私は十一面観世音の権化。私を信じる者は様々な困難を克服し、望みを叶えるでしょう。私の像を刻み、人々に広め、縁起を結ぶように」と上人に告げられました。

上人は大いに喜び、浄財を集め、仏師に頼んで玉照姫の像を制作し、奉安しました。

その結果、玉照姫の像は霊験あらたかで、近郊だけでなく、善男善女が縁結びを願ってお参りするようになりました。

徳川家の姫君の奥女中たちからも厚い信仰を受け、今に至っているとされています。

miko

玉照姫様は観音様になり今も人々を救っているのですね。
素晴らしい縁起です。

笠寺由緒玉照姫安置天林山 泉増院 笠寺縁起「玉照姫の由来」より参照・要約

玉照姫の祈りについて

玉照姫の祈りはどのようなものだったのか

「玉照姫の由来」の中には、玉照姫が祈りを捧げている場面が描かれています。

玉照姫の祈りについて理解を深めようと思います。

玉照姫は、同僚の女中たちにあざけり笑われながらも、『衆生の厄難を除く、との誓願空しからざれば、あわれ現世の苦を免れしめ、未来の果報を得さしめ給え』と十一面観世音菩薩に祈られています。

  • 衆生の厄難を除く、との誓願」とは、衆生とは一般の人々や生きとし生けるものを指します。厄難は悩みや苦しみを指します。この部分は、玉照姫が他者の苦難を除くことができますようにと誓いを立てたことを示しているようです。
  • 誓願空しからざれば」とは、 真剣に叶える意志や実行の意志がないような誓いであれば意味がないという事のようです。あるいは誓願が形だけで中身がないとも考えられます。
  • 「あわれ現世の苦を免れしめ」とは、あわれは同情や哀れみを表します。そして、誓いが成就するれば、自分や他者が現世の苦しみから救われることを願うと言い表しているようです。
  • 「未来の果報を得さしめ給え」とは、将来の幸せや良い結果を得ることを祈りますと言っているようです。

玉照姫は自らが困難な状況にある中でも、他者の苦しみに共感し、誓願を立てて真心で祈りを捧げ、すべての人が幸せになれますようにと願う様子を描いていると考えます。

慈悲の心を持つ彼女は、ただひたすらに人々の幸せを願っていたと考えられます。

一方で、理解はできるものの、彼女がどうしてこのように強い志を持つことができたのかという点については疑問に思います。

彼女がもともと観音様の心を持っていたのかどうかはわかりませんが、宗教などの信仰心が、慈悲や利他の心を育むことがあり、これが強い志や他者への同情心、哀れみへとつながる要因となった可能性があります。

いずれにしても、これらの境地は私には理解しがたいものですが、慈悲の心については少しだけ理解が深まった気がします。

笠寺観音御朱印

通常御朱印

笠寺観音大悲閣御朱印
笠寺観音大悲閣御朱印
笠寺観音不動明王御朱印
笠寺観音不動明王御朱印
笠寺観音恵比寿神御朱印
笠寺観音恵比寿神御朱印

各御朱印代は300円
書置き
日付はスタンプ

御朱印入手方法

本堂の右側に受付がありますので、こちらで御朱印を受けることができます。

受付時間は、8時~4時の間でいただくことができます。

泉増院御朱印

通常御朱印

玉照姫御朱印
玉照姫御朱印
大日如来御朱印
大日如来御朱印
くす薬師御朱印
くす薬師御朱印

各御朱印代は300円
書置き
日付は手書きで記入していただけます

節分参り御朱印

泉増院令和6年甲辰節分参り御朱印
泉増院令和6年甲辰節分参り御朱印

令和6年の節分参り御朱印です。
節分参りの御朱印は、山門をくぐった右側、本堂の横で受け付けられていました。

授与品

笠寺観音お守りと祈祷福豆

笠寺観音お守りと福豆
笠寺観音お守りと福豆

福豆は300円で買うことができました。家族分はありそうです。

福豆の数はだいたい135個入っていました(*^^*)

毎年カバンにつける笠寺観音開運厄除のお守りもいただきました。

泉増院の福ひいらぎ

節分ヒイラギ泉増院
節分福ひいらぎ泉増院
泉増院の福ひいらぎ

写真は中サイズで800円です。

立春大吉 古代より赤は疫鬼を払う色といわれています

引用:福ひいらぎより

泉増院の笠寺縁起絵馬

泉増院絵馬
泉増院絵馬
笠寺縁起絵馬

尾張名所図絵にもある笠寺の縁起を絵馬に写したものだそうです。

玉照姫の由来には、絵馬に描かれている場面があります。

ある雨の日、星崎の野に菜摘に行かれると、御堂もなく、雨にぬれ仏となって十一面観世音菩薩が野中に立ってみえるのを見て、もったいなく思われて、自分の笠をぬいで仏像の頂に覆われました。(笠覆寺名の起源)

引用:笠寺縁起「玉照姫の由来」より

絵馬には松の木が描かれています。笠寺台地は、かつては「松巨島」と呼ばれているほど、台地の上に松の大樹が茂っていました。熱田方面から眺めると、松の木々が島のように見えていたそうです。

笠寺台地についても紹介しています。是非こちらもごらんください!

笠寺公園についても紹介しています。こちらも合わせてごらんください!

泉増院のお守り

泉増院お守り
泉増院お守り
お守りの種類

結縁守り、開運守り、厄除守り、敬愛守り、健康守り、安産守り、玉照姫ご守護、玉照姫おしろい

結縁守り未婚の方に良縁を授けるお守り
敬愛守り夫婦、一家の和合と長命を授けるお守り
厄除守りすべての悪事、災難をまぬがれ、幸福を授けるお守り
玉照姫おしろい玉照姫が兼平中将と結ばれた後、家に残していったおしろい。同輩が、玉照姫の美しさにあやかろうとして使ったという言い伝えがあり、古くからお授けしているものだそうです。
泉増院パンフレット「御縁日と御授与」参照

笠寺観音見どころ

笠寺観音西門前夜祭の風景
笠寺観音西門節分会前夜祭
笠寺観音節分会前夜祭西門の様子

毎年行われる節分会前夜祭の風景です。こちらは西門です。

たくさんの人でにぎわい、この時ばかりは門をくぐるときワクワクします。

開運招福・福徳円満お鈴お祓い白山社
開運招福・福徳円満お鈴お祓い白山社
白山社

巫女さんにおじぎをしながら、頭上で鈴を鳴らしていただく開運招福・福得円満のお祓いです。

10秒ほど鳴らしていただけると思います。清々しいきもちになりますのでおすすめします。

御本尊
御本尊
御本尊

8年に一度開帳される秘仏の本尊、十一面観音立像が安置されています。

拝所
拝所・笠寺観音の紋の提灯
提灯

天井からは、笠寺観音の紋が入った提灯がたくさん吊り下げられています。

吊り灯籠(とうろう)

六角形の灯篭が美しく飾られ、厳かな雰囲気があります。六角形は、仏教の観点から見ると六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天)を表すと言われています。

おもかる地蔵
おもかる地蔵
おもかる地蔵

観音様にお参りした後、受付を通り過ぎ、護摩堂の南側にある「おもかる地蔵様」のところへ行きます。

そっと持ち上げ、祈願してみてください。一番手前にあるお地蔵様はとても重いですよ(*^^*)

仕事や受験、恋愛、色々な事をお尋ねしながら、静かに抱き上げてみてくださいね。

鬼の顔石彫
鬼の顔石彫
鬼の顔の石像

会館下に置かれた、鬼の顔の石彫。

玉照堂
玉照堂
玉照堂

玉照堂には、藤原兼平公と玉照姫様が祀られており、良縁を祈願するために遠方からも多くの参拝者が訪れています。

恋のパワースポットとしても有名な場所です。

玉照堂本尊
玉照堂本尊
玉照姫、藤原兼平公ご夫婦御本尊

玉照堂本尊の玉照姫と藤原兼平公御本尊です。

縁結びや交際円満、良縁祈願のご利益があるとされています。

鐘楼
鐘楼
鐘楼(鐘つき堂)

阿願上人の願によって鎌倉時代に作られた梵鐘(ぼんしょう)は、尾張三名鐘のひとつといわれています。

毎年大晦日の夜に、除夜の鐘をつくことができます。

山門の仁王像
山門の仁王像
仁王像

両サイドに大きな仁王様(金剛力士)が寺の入り口を守っています。

放生池に架かる太鼓橋
放生池に架かる太鼓橋
山門前の放生池と太鼓橋

春になると桜が満開になりとてもきれいな場所となります。

この橋の下には、亀もたくさん生息しており、100円で餌を買いあたえることもできるので、子どもさんに人気のスポットです。

泉増院見どころ

笠寺観音の山門から抜けて、道路を隔てた南側に泉増院があります。

通常、この道路は車が頻繁に通行します。渡る際は車に十分な注意を払って通行してくださいね。

泉増院は、普段とても静かで心落ち着ける場所です。境内は、手入れが行き届いており、美しい庭園を眺めながら散策することができます。

泉増院参道
泉増院参道
泉増院山門から見る玉照姫お堂
泉増院山門から見る玉照姫お堂
泉増院庭園
泉増院庭園
泉増院玉照姫のお堂
泉増院玉照姫のお堂
泉増院庭園
泉増院庭園
泉増院樹木
泉増院樹木

節分前夜祭の泉増院

泉増院夜の山門・節分前夜祭
泉増院夜の山門・節分前夜祭
泉増院山門節分前夜祭の風景

普段は静かでひっそりとした泉増院ですが、節分祭の期間中は多くの人で賑わいます。

泉増院夜を彩る奉納提灯
泉増院夜を彩る奉納提灯
奉納提灯かざり

赤、白、青の美しい提灯が夜の参道を彩り、足元を優しく照らしてくれます。その温かな光が顔を美しく照らし出してくれる様子は、まるで玉照姫様の御力によるもののようです。

泉増院本堂
泉増院本堂
本堂

不動明王、大日如来、弘法大師が祀られています。

玉照姫本堂
玉照姫本堂
玉照堂と節分前夜お参りの様子
玉照姫お堂と節分前夜お参りの様子
泉増院受付所
泉増院受付所
泉増院玉照姫お堂

玉照姫の像は、第七世住職実道上人が夢のお告げを受けて奉安されました。

その像には厄難除けや縁結びの力が宿り、良縁祈願に訪れる参拝者が遠方からもお参りされます。(御開帳は8年に一度行われるそうです)

受付には通常だれもいないようです。窓が閉まっているので、ベルを鳴らして出てきてもらいます。

御朱印はこちらで受けることができます。

薬師如来立像
薬師如来立像
薬師如来立像

泉増院の境内左手奥にあるのが薬師堂です。奥には薬師如来の立像が祀られています。

薬師堂では、通常は扉が少しあいているため、そこからお参りすることができます。

笠寺観音基本情報

ご利益:厄除け(開運厄除け)・健康・商売・縁結び
宗派:真言宗
本尊:十一面観世音菩薩

名称天林山 笠覆寺「笠寺観音」
住所名古屋市南区笠寺町上新町83
電話052-821-1367
駐車場
アクセス名鉄「本笠寺」下車 東へ500mおよそ徒歩で7分~8分
受付時間朝8時~夕方4時まで(お札・お守り授与、朱印、各種申込みなど)

泉増院基本情報

ご利益:厄難除け・縁結び
宗派:真言宗
本尊:大日如来

名称天林山泉増院(せんぞういん)
住所愛知県名古屋市南区笠寺町字上新町76
電話052-821-1366
駐車場
御朱印有(書置き)
アクセス名鉄「本笠寺」下車 東へ450mおよそ徒歩で7分

まとめ

笠寺観音は、玉照姫の苦難と信仰の感動的な物語が息づく聖地として、多くの人々に愛されています。

玉照姫の厳しい境遇を乗り越え、観音様の加護によって得た幸せな晩年は、信仰を持つ人々に勇気と希望をもたらしています。

笠寺観音は、厄難から人を救い良縁を願う人々の心の拠り所となり、その霊験は今もな衰えていません。

春には、池の周りに美しい桜が咲き、可愛らしい亀が顔をのぞかせます。

ぜひ一度足を運んでみてください。

この記事を読んで下さりありがとうございました。

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