こんにちは!
名古屋市の中心に位置し、アクセスが良好な洲崎神社を紹介します。
洲崎神社は、縁結びの神様をまつることで有名な神社です。
また、多くの人が恋愛成就の祈願に訪れます。
その縁結びの参拝方法は、少し変わったところがあり、「小さな鳥居」をくぐります。
この鳥居をくぐると、心願成就するとされています。
洲崎神社の境内は、小さいながらも魅力がギュッと詰まっています。
初めて訪れた際に、多くの社や像が混在しているため、どのようにお参りしたらよいのか戸惑うかもしれません。
私も最初はどうお参りしたらよいかわからなかったです!
そのため、この記事では、洲崎神社の魅力と参拝方法を紹介することにしました。
ご利益やパワースポット、境内の見どころ、御朱印、授与品などについても詳しくご紹介します。
ぜひ一度、洲崎神社に参拝して、運気をアップしましょう。
2024年1月2日に初詣に行った様子をアップしました。
白龍龍寿社に奉納されている絵を見て、龍画師の原田暁一さんと知り合うことができました。白龍の絵が素晴らしかったので、白龍龍寿社参拝方法の記事で取り上げています。
洲崎神社の人気スポット縁結びの参拝方法をYouTubeで紹介しました。
(※最初お囃子の音が大きいかもしれません🙇)
洲崎神社について
沿革
洲崎神社(天王崎神社)は、広井天王社・牛頭天王社と呼ばれていました。
創建は、貞観年中(860年)頃といわれています。
中区天王埼町の東岸に位置し、境内面積808坪8号6勺、社家の屋敷が、寛保3年には、1617坪あったそうです。
境内は、椋(むく)、榎(えのき)、樫(かし)、松が密生し、「椋の森」と呼ばれていました。
慶長15年(1610年)堀川の掘割りで羽柴正則が御普請(ふしん:土木工事、建築工事を指す)成就を祈願しました。
慶長17年名古屋城築城後は、社地は武家屋敷が建てられたり、堀川水路が通されるなどして境内は縮小していきました。
しかし、堀川の掘割り完成後は、徳川家の尊崇も厚く祈願寄進や、宮中からの御奉納が数多くあったそうです。
文化財として貴重な宝物も、現存しています。
名古屋市史[第1]社寺編 名古屋市/編 愛知県郷土資料刊行会 p248より参照
洲崎神社由緒書きリーフレット「沿革」より参照
天王崎祭礼について
- 天王崎祭礼とはどのようなものだった?
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江戸時代の頃、洲崎神社では、天王崎祭礼という華やかで盛大なご神事が行われていました。
享保17年(1733年)、徳川宗春は名古屋繁栄の趣旨で、神輿(みこし)を船に乗せ、新馬場御旅所(おたびしょ)まで神興の儀を行っています。夜は「おみよし流しの神事(おみよしが流れついた町の老若男女が余興を催し、2カ月お祭りを続ける神事)」や「船祭」が盛大に行われました。
宗春が退いた後でも、陰暦6月14日、15日に、天王崎より熱田の浜まで渡る昼の御葭船(みよしふね)や、夜の巻わら船が出て、人びとを楽しませています。
明治22年まで船祭は繰り返されましたが、堀川に橋が増えたことや、祭りの船が通れなくなったこと、水夫の数が不足したことでなくなりました。
洲崎の天王祭は、広井船祭りと呼ばれ、東照宮時代祭(じだいまつり)とあわせて江戸時代の二大祭りだったそうです。
現在は、7月第3土・日曜日にちょうちん祭りを行っています。
神輿とは、神社のお祭りの際に、神社にいる御神体を御旅所へ渡御し、一時的に鎮まる輿です。
御旅所とは、神社の祭礼において御神体を乗せた神輿が巡行の途中で休憩または宿泊する場所です。
「境内掲示板切り抜き記事名古屋市史社寺編」より一部要約
徳川吉宗の政策は、質素倹約を推進し、庶民の贅沢を禁じていました。しかし、徳川宗春は、遊興施設や娯楽を奨励し、民の楽しみを第一に考えました。
この頃の名古屋の町は、宗春の政策により繁栄し、多くの人でにぎわったと考えられます。
御祭神とご利益
- 素戔嗚尊(すさのおのみこと)防災除疫の神
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厄除け、病難除去、商売繁盛、縁結び、夫婦和合、開運
- 稲田姫命(いなだひめのみこと)農耕の神
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五穀豊穣、 縁結び、 夫婦和合、開運、金運 、学問上達
- 五男三女神(ごなんさんにょしん)
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五穀豊穣、商売繁盛、海上安全、安産祈願、家内安全
- 布都御魂(ふつのみたま)
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諸災厄除け、武芸上達、開運、出世、交通安全、無病息災
- 猿田彦命(さるたひこのみこと)導きの神
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災難方位除け、縁結び、夫婦和合、延命長寿、開運、商売繁盛
- 天鈿女命(あめのうずめのみこと)芸能の神
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五穀豊穣、縁結び、夫婦和合、舞踊上達、芸事
- 白龍龍寿大神
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家内隆昌(りゅうしょう)、商売繁昌、出世、金運
- 道祖神(どうそしん)交通安全の神
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疫病除け、 災厄除け 、交通安全、子孫繁栄、 五穀豊穣 、無病息災
- 境内社ご利益
- 鎮霊社
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戦没者の方の御魂を祀っています。戦争を起こさないことを誓い、平和を祈願しましょう。
- 泰産社(豊玉姫命)
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豊玉姫命 縁結びや子宝、安産守護
- 弥五郎社(武内宿禰公:たけうちのすくね)
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健康長寿、勝負、出世、開運
(武内宿禰公は、古代の人物で「景行」「成務」「仲哀」「応神」「仁徳」の5代天皇に仕えた忠臣) - 秋葉社(火之迦具土大神:ひのかぐつちのおおかみ)
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火災消除、家内安全、厄除、開運
- 住吉社(住吉の三神)
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海上・航海安全、船の守護、厄除、災難除け
- 船玉社(船玉命)
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航海安全、交通安全、厄除、開運
- 俤社:おもかげしゃ(大物主大神:おおものぬしのおおかみ)
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開運、諸願成就、病気平癒、五穀豊穣、商売繁盛、殖産興業、縁結び、医薬、国土開発、疫病除け
(大物主神=三輪山の神=大国主神の分霊 幸魂:さきみたま 奇魂:くしみたま) - 稲荷社(宇迦之御魂大神:うかのみたまのおおかみ)穀物の神様
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商売繁盛、五穀豊穣、家内安全
境内社をあわせるとたくさんの神様がいらっしゃいます。
洲崎神社では、猿田彦命と天鈿女命の二柱を道祖神としています。
道祖神は、古くからある民間信仰です。
外からくる疫病や災いから集落を守るために、村のはずれに建てられています。
洲崎神社の魅力はこんなにもある!
リンクをクリックすると記事にジャンプします
- 縁結びの神様がいる(恋愛、人との出会い、親子の絆を結ぶ)
- 石神の「小さな鳥居くぐり」参拝が独特(人気スポット!)
- 白龍龍寿大神は金運、商売繁盛のご利益がある(強力パワースポット!)
- 白龍龍寿大神が描かれた御朱印がある(龍神が好きな人必見!)
- お守りの種類が多い!
- 十二支参りで、守護神のご加護を受けよう!
- 丑(うし)の像「なで牛」に願かけしよう!
- ちょうちん祭りで、厄除け祈願がバッチリできる!
願い事別参拝方法5つを紹介
基本作法を知っている方は読み飛ばしてくださいね!
①一般的な参拝(基本作法)
- 一の鳥居の前で軽くおじぎをしてくぐる
- 手水舎(てみずや)で手、口を清める
- 二の鳥居の前で軽くおじぎをしてくぐる
- 鈴があるので引いて鳴らす
- 拝殿まで進み賽銭箱にお賽銭を入れる(※投げてはダメ)
- 本殿に向かい、拝礼する
二拝(深く腰を曲げておじぎ)二拍手(打つときは、右指先を少し下にずらして打つ)一拝
感謝の気持ちを伝え祈る
後ろに一歩下がってからむきを変える - 社務所でお守りや御朱印を受ける
(遠路をはるばる超えて神社に参拝した証) - 境内をゆっくりと散策し、様々な神様にお参りする
- ご利益を授かりましたら、一の鳥居を出た後、感謝の気持ちを込めて軽く一礼
- 祈願が叶えられたら、御礼の参拝も忘れずに!
それでは、1~10までの作法と見どころも合わせて解説していくよ!
1.洲崎神社の鳥居は二つ並んでいるけど、どちらをくぐればいいかな?
神額に「道祖神」と書かれた明神(みょうじん)鳥居と神明(しんめい)鳥居があります。二つとも立派な鳥居です。どちらをくぐるか迷いますね。
一般参拝でしたら「洲崎神社の神明鳥居」をくぐりましょう。
洲崎神社には、なぜ鳥居が二つあるのかな?
右側が、洲崎神社鳥居。左側が、道祖神の鳥居。
下記の資料によると明治45年7月に洲崎神社へ合祀とあります。
その時に鳥居も移されたのではないでしょうか。
明治45年7月に天王先町「石神社」を本社に合祀した。
引用:「愛知県神社名鑑」(愛知県神社庁/編集 愛知県神社庁 1992年)p35-36
もともとこの洲崎の地には、地神(石神)が祀られていました。
そして、平安初期に石神の導きにより、素戔嗚尊を祀るようになったと伝わります。
~素戔嗚尊を導くことができるほど力が強かった神様だったと言えます。鳥居が二つ並ぶ理由は、石神社が人々の生活に密接にかかわる神様であり、神社合祀の際も、根強い信仰の対象として重要視されていたため、鳥居は、二社の信仰を象徴するものとして立っていると考えます。~
鳥居は「道祖神」と書いてありますが、さらには境内の石神社で石神と道祖神が合祀されています。
洲崎神社由緒書きリーフレット「社名の由来」より参照
2.手水舎で手、口をすすぐ
洲崎神社の鳥居をくぐると、右手に手水舎があります。
手や口をすすぐ行為は、禊(みそぎ:神事に従事する者が、身にある罪や穢(けが)れを落とすため、川や海の水でからだを洗い清めること)を簡略化したものです。
- 手、口のすすぎかた
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- 右手で柄杓(ひしゃく)を取り、清水を汲んで左手にかけ清める
- 柄杓を左手に持ち替え、同じように右手を清める
- 柄杓を右手に持ち替え、左の手のひらに水を受けて口をすすぐ
すすぎ終えたら、左手を水で流す - 残りの水で柄杓の柄の部分を流す
3.二の鳥居をくぐる
洲崎神社は、奥に向かう通路が続きます。
二の鳥居の前には、歴史を感じる「百度石の標石」が立っています。
縁結びの神様の前で、「恋のお百度参り」する人がいるかもしれませんね!
お百度参りとは?
百度石(ひゃくどいし)は、「お百度参り」をする時に使う標石です。
この百度石を基点に本堂と参道を百往復してお参りをします。
古くからの民間信仰であり、通常の参拝では叶わないと思われる時や、切実な願い事がある時に行われるお参りです。(一般に自分の祈願のためでなく、大切な人のために行う祈願方法)
祈願が成就するよう雑念を持たず、一心に祈ります。
4.5.6.拝殿前で御祭神と向き合います
拝殿まで進み、正面につるされている鈴を鳴らしてください。
鈴緒(すずお)が重く、引くと音は「ガランガラン」と骨太な音がします。
お賽銭箱にお賽銭を入れます。
洲崎神社の社殿には鈴がいくつもつるされています。
その鈴を鳴らして音色を楽しむことも、魅力の一つです。
鈴を鳴らして、神様とのつながりを感じましょう!
7.御朱印・お守りを受けよう
お参りがすみましたら、御朱印やお守りを受けます。
参拝の楽しみのひとつですね!
授与所横におみくじがならんでいます。
ここに並んでいるおみくじは、お守りとして持つことができます。
恋愛おみくじ「ハートの鈴根付け入り恋みくじ」を引いてみてはいかがでしょうか。
初穂料200円
~恋みくじに書かれている内容紹介~
積極的な出会いの予感
気品あふれる恋の予感
新しい出会いの予感
理想の人との恋の予感
ゴールインがあるかも
初恋の人との再会の予感
洲崎神社の御朱印
洲崎神社通常の御朱印
初穂料300円
白龍龍寿大神御朱印
初穂料300円
※洲崎神社の御朱印は、こちらの2点が受けられます。
豊富な種類のお守り
洲崎の五色鈴
洲崎神社には、寿命百十年のいちょうの老神木があります。
その銀杏の実をかたどって素焼き土鈴にしたものです。
疫病除け。
初穂料1500円
大切な人へのプレゼントに最適です。
振ると中で「シャラシャラ」と小さな可愛い鈴の音がなります。
「五色鈴」説明書内容
~歌~
「さやかなる 音をもたてゝ 土の香の 匃ひこほるゝ 五色黄すゞ」洲崎神社
と詠まれています。
洲崎の五色鈴
慶長年間市内に疫病が流行したので領主が、洲崎神社へ病災解除の祈願をこめて、神鈴を奉献したのが始まり。
この鈴は、日本の土鈴の代表的なもので、御神木の「いちょう」の実(ぎんなん)をかたどり、五色に彩色し、下げ緒に元結を使っていると資料に記されています。
洲崎神社のお札の種類です。
「蘇民将来子孫繁栄」護符を玄関入口につけておくと疫病除けとなり、家運隆盛ともたらすとあります。
初穂料1500円
洲崎神社には、お守りがたくさんあります。
運気が上がる登り龍刺繍の「仕事守」がいいですね。
初穂料800円
カードタイプの「旅行安全」「災難消除」の八方除け守りは、出先の方角が気になった時に持つといいですね。
初穂料500円
8.本殿の参拝を終えたら、境内を散策します
洲崎神社の境内を散策すると、いたるところに石の彫刻があります。
石神様をまつるだけありますね!
手水舎の横に立っていた「鳥の石像」が気になったので、神職さんに聞いてみました。
すると、先代の方が彫刻されたものだとおっしゃいました。
コケがいい感じに生えています。鳥好きにはたまりません(^^♪
左から「伊勢神宮遙拝所」「明治神宮遙拝所」「宮城遙拝所」「橿原神宮遙拝所」石碑
伊勢神宮遙拝所の御祭神は、天照大御神。
明治神宮遙拝所の御祭神は、明治天皇。
宮城遙拝は、皇居を遥拝します。
橿原神宮遙拝所の御祭神は、神武天皇(じんむてんのう)。
遥拝(ようはい)所とは、遠方に鎮座する神社に参拝できない人が、その代わりに参拝する場所です。
遙拝とは、遠くにいらっしゃる御神体をおもい、その方角をはるかに眺めて拝むことです。
また、神社の方角を向いて、静かに手を合わせることです。
洲崎神社には、たくさんの遙拝石碑が建っています。崇敬神社の神様にいつでもお参りができます。
左側の「吽形」狛犬さん。整った形をしています。
右側の「阿行」狛犬さん。足に球はありません。
写真が分かりずらいですが、クスノキの後ろにあるのがイチョウです。
樹齢百十年の「いちょうの老神木」。
白龍社の裏にひときわ高く立っています。
「洲崎の五色鈴」は、このイチョウの木の銀杏をかたどっているそうです。
洲崎神社鳥居前の御神木です。
コンクリートに囲われていても、大地にしっかり根を張っています。
保存樹のアベマキの木(別名:コルククヌギ)
隣のビルの壁をつたうツルは、勢いがあります。
堀川があるので、土壌の水分が多いのかもしれません。
コケも多く生えています。
洲崎神社は境内の坪数が、577.08坪
引用:「愛知県神社名鑑」(愛知県神社庁/編集 愛知県神社庁 1992年)p35-36より
社殿
本殿 神明造2.00坪
覆殿 3.00坪
幣殿 8.00坪
拝殿 20.00坪
社務所 68.00坪
慶長17年(1612年)の名古屋城築城される前は、現在の栄一丁目全域が社地であったそうです。
神社の側面から見た写真。
一番奥が本殿。
細長い敷地です。
いにしえの風景に思いを馳せる
洲崎神社境内掲示板に「日置橋東より納屋橋を見る」という記事がありました。
題名は「太夫堀川並桜」です。昔のお花見風景や町の暮らしが載っていたので紹介します。
江戸時代、堀川の春の風景は、どんなふうだったのかな?
「太夫堀」とは、堀川の本名。
慶長年中(安土桃山時代から江戸時代、1596年~1615年まで)名古屋の御城下から、熱田の海より、船の通路のために、福島左衛門太夫正則がたくさんの人夫をつかい、あまり日数をかけずに、川筋を作りました。
そのため、この川の名前を「太夫堀」としました。
西水主町から日置橋まで数百本の桜や桃が、川岸に植えられ、弥生の花盛りの頃には、町に人が集い、遊山の船がでたり、三弦、太鼓、お囃子、うたい、踊る人もでてにぎわっていたそうです。
風流な仮茶屋、屋台店がつらなっていた。
さながら、嵐山・隅田川の春興にも劣らぬものであったと記されています。
境内掲示板切り抜き記事尾張名所図会より要約
五穀豊穣の神大漁の神として尾張、知多の諸所参詣者相次ぐ
引用:「愛知県神社名鑑」(愛知県神社庁/編集 愛知県神社庁 1992年)p35-36より
~江戸時代、日置橋から眺める春の堀川は、花見で人が賑わい、荷物を運ぶための舟も行き交っています。
堀川沿いの土手には、町屋が並び、人が行きかう活気に満ちた場所だったと考えられます。
洲崎神社も、上記の資料に「参詣者相次ぐ」とあるように、大勢の参拝の人で賑わっていたのでしょう。~
日置橋から納屋橋までは、徒歩で約19分、約1.5kmです。
洲崎神社は、その中間くらいにあります。
この一帯は、今では想像がつかないくらい、にぎやかな暮らしがあったのですね。
神社を出て堀川の川沿いに「御船手役所跡」という立て看板が立っていました。
弘化4年(1847年)の記録では、尾張藩の海軍の根拠地と記されています。
堀川は、名古屋城から熱田を結ぶ重要な水路でした。
物流の中心的な役割を担い、名古屋の城下町の形成と発展に貢献したと考えられます。
また、洲崎神社が「堀川開削の地」と記されていることから、洲崎神社の役割も大きかったと思われます。
洲崎神社を知るほど、尾張の歴史や文化の深さを感じます。
9.10.一の鳥居をくぐったら軽くおじぎをして帰ります
願いが叶いましたら、お礼参りも忘れずに!
②人気スポット縁結びの参拝
最初に紹介しましたYouTube動画も参考にしてくださいね♪
縁結び参拝のながれ
一の鳥居をくぐり、手水舎で手、口を清めます。
二の鳥居をくぐると右手に社務所があります。
社務所で「縁結びの輪」を500円で購入します。
「縁結びの輪」についている白い紙の裏に名前と願い事を書きます。
サインペンが置いてあるので、その場で書くことができます。
神職さんが、縁結びの参拝方法を説明してくれます。
洲崎神社の祭神、素戔嗚尊(すさのおのみこと)、稲田姫命(いなだひめのみこと)、五男三女神に、お参りをします。
奥には神様依代の鏡や御幣が置かれています。
拝礼をすませたら、拝殿の中を拝見してみましょう。
神社によって祀られ方に違いがあります。
「名古屋市史[第1]社寺編」(名古屋市/編 愛知県郷土資料刊行会 1980年)p248-251内p250
神社各説郷社(洲崎神社)寶物
壺、鏡、刀、獅子頭などの宝物があるようです。
洲崎神社の「和鏡」市の指定文化財。
いつか展示されることがあったら見てみたいですね。
この小さな鳥居をくぐる前に、写真左下の白枠で囲んだ御幣(ごへい:御幣は紙垂を木製の棒に挟んだ祓い具)を「左、右、左」振り、穢れを取り除き、清めます。
手をついて太鼓橋を腹ばいでくぐります。(靴は履いたまま)
小さな鳥居をくぐりぬけたあと、拝礼します。
石神(布都御魂:ふつのみたま)、道祖神(猿田彦命:さるたひこのみこと、天鈿女命:あめのうずめのみこと)に祈願します。
石神社は、恋愛成就のご利益だけでなく、交通安全、家内安全、無病息災などのご利益もあります。
この社は、災いを断ち切る強力な力を持つ、布都御魂命が祀られています。その御神徳で、悪いものを祓ってもらいましょう。
しっかり祓っていただいた後、道祖神が祀る二柱の神様のところへ行き、良い縁を結んでいただきましょう。
この鳥居がどうしてもくぐれない場合は、そのまま前へ進み、お参りしましょう。(参拝は、くぐることよりも、心から祈ることが大切です)
参考までに、YouTubeで鳥居をくぐっている私の息子の体重は、70kgくらいです。もう少し大柄な男の人でも大丈夫だと思います。
男性の方も一人でくぐっているのを見かけますよ。
私は、この参拝方法が良く分からなかったのと、ちょっと恥ずかしかったのもあって、2度目の参拝時に鳥居をくぐりました。一度くぐれば次回からは抵抗なく、くぐれるようになります。
道祖神の祠についたら御祭神猿田彦大神と天鈿女命にお参りをします。
道祖串にヒモを結んだ「縁結びの輪」を通します。
鈴を鳴らし拝礼。
恋愛成就の祈願をします。
恋愛成就だけではなく、良縁祈願もできます。
道祖神お参りの順序の案内板です。
「絆」と書いてあります。
「家族の絆、人の出会いの絆、恋の絆」を授かることができます。
夫婦仲が良い猿田彦大神と天鈿女命の神様にあやかって、いいご縁が結ばれるといいですね!
③開運に導く石神社の参拝
石神社参拝のながれ
- 本殿の参拝を終えたら拝殿の右側にある「石神社」へ移動
- お賽銭箱にお賽銭を入れる
- 縁結びの参拝方法と同じ要領で参拝し「小さい鳥居」をくぐる
- 石神と道祖神に祈願
石神社三柱のご利益は何かな?
道祖神として祀られている猿田彦命は、人生の道案内役として、良縁や仕事などの幸運を引き寄せるとされています。
布都御魂命は、災いをはらい悪縁を断ち切り、新たな道を切り開く力を持つとされています。
天鈿女命は、芸能の神様として、芸事上達祈願もできます。
石神社に参拝することで、人生をより良い方向へと導き、幸せな未来を手にすることができるのではないでしょうか。
小さい鳥居くぐりは、とても独特です。はって鳥居をくぐることで、神聖な場所に足を踏み入れ、心身ともに浄化されるような気持ちになりますね。
布都御魂命という神様が気になります。一体どういう神様かな?
布都御魂について
日本神話では、初代天皇となる神武天皇が建国のため「東征の旅」に出た時の話です。
御子が熊野村についたとき、熊の姿をした神が現われ、すぐ消えました。
すると御子は気を失い、兵士たちも失神しました。
そんなピンチの時に、布都御魂(ふつみたま)が高天原から降ろされ、高倉下(たかくらじ)が御子に太刀(たち)を献上しました。
すると御子は正気を取り戻し、太刀を受け取ると、その太刀は、熊野の荒ぶる神をひとりでに切り倒し、御子を賊から救いました。
その霊力は、毒気をはらい災いを断つ力を持っていたと言います。
御子と軍が勢力を回復した後、八咫烏(やたがらす)に道案内をさせ、大和をめざします。
幾多の戦いを経て御子は、神武天皇として国を統治します。
神武天皇は、宮中で布都御魂を祀りました。
第10代崇神(すじん)天皇の頃には、物部氏の伊香色雄命(いかがしこおのみこと)が、霊剣を石上神宮(奈良県天理市)に移します。
石上神宮では、御祭神の布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)として祀られています。
現在も御神体は石上神宮に祀られています。
神話のおへそ 扶桑社p197~199参照
石神社はなぜ洲崎神社へ合祀されたのか?
明治45年7月に「石神社」は洲崎神社へ合祀されています。
石神社はどこから移ってきたのかな?
石神社の経緯が知りたいな。
石神社はもと永田氏の控社にして日置村に在り、往古紫川の北岸に沿ひ里道(下園町筋)に面して、境内1200餘坪の地域を占む、慶長19年基地を醫師賀島道園に給はり、本社を大須裏門の空地に遷座せしむ、享保年中、日置村天王崎町に遷し、舊社地25坪3合を神職の管轄貢米として社入せしむ、明治維新の際之を上地し、明治45年7月、洲崎神社に合祀す、
引用:名古屋市史 社寺編 神社各説 郷社(洲崎神社)P250~251より
天王崎神社
引用:洲崎神社の案内板 尾張名陽図会 巻之七より
〇弥五郎殿 〇泰産府君 〇石神社 むかしは御園大下の町屋の有る所にありしが、加島道円薬園になりし頃、大須の裏門辺にうつす。また今は当社にうつしぬ。
「弥五郎殿」「泰産社(たいさんのやしろ)」「石神社」は、御園大下町屋→大須裏門→洲崎神社へ移ったと記されています。
これらの資料によると、石神社は、慶長19年(1614年)に大須の裏門辺りに遷移し、さらに、日置村天王崎町へ遷移し、洲崎神社に合祀されたことがわかります。
祭神は中央素戔嗚尊、左五男三女神、右稲田姫命にして、布都御魂石神社の祭神を合祀せり、
引用:名古屋市史 社寺編 名古屋市役所編集 P248 より
当社は太古この地は入江で洲崎になり此のところに地神(石神)が祀られており同神のみちびきにより平安時代初期に素戔嗚尊が奉斎され広井天王・牛頭天王などとよばれていた。
引用:洲崎神社の記 社名の由来より
名古屋市史によれば、洲崎神社へ合祀される以前より、石神は布都御魂であると記されています。布都御魂が石神社に祀られるようになった経緯は不明ですが、太古よりこの地に宿っていた依代(よりしろ)が、人々によって神様として祠で祀られ、次第に社で祀られるようになったのではないかと考えます。いずれにしても、布都御魂はこの地の人にとって重要な祭神であり、信仰の対象になっています。
洲崎神社の神仏分離と神社合祀の経緯
石神社のように洲崎神社へ合祀された神社が他にもあります。
では、なぜそのようなことが起こったのかを簡単に説明します。
神社のいろは 扶桑社p58~59、p178~179より参照
④金運、商売繁盛のご利益がある白龍龍寿社の参拝
白龍龍寿社参拝のながれ
- 本殿参拝を終えたら、石神社の前を通り右奥へ移動
- 白龍龍寿大神の石鳥居をくぐる
- 右側に手水舎があるので手と口を清める
- 鈴をならし、お賽銭を入れる
- 拝礼
- 感謝の気持ちを伝え祈願
白龍龍寿社は、白龍社と龍寿社の二社が合祀されています。白龍大神、龍寿大神の二柱の神様が祀られています。
白龍龍寿社は、パワースポットとしても有名です(^^♪
白龍龍寿大神になるまでの経緯は?
かつてこの地には入江があり、那古野山がありました。そして椋の森が広がっていました。
近くを紫川が流れ、自然豊かなこの地に、白蛇がいたのではないかと考えます。
白蛇は、水辺や家を守る縁起の良い生き物として信仰されていました。
いつしか、白蛇を人々が祠(ほこら)で祀り、白龍社と龍寿社の神様として祀るようになったのではないでしょうか。
この経緯に諸説があるかもしれません。他にもこの地に白龍神の伝説があったのかもしれません。
いずれにしても、白龍龍寿大神は多くの人に信仰され、その強いパワーは、人々の願いを叶えてくれています。
龍画師 原田 暁一さんについて
白龍龍寿社の入口には白龍の絵が飾られています。
宇宙を感じる素晴らしい絵です。
愛知県名古屋市の一筆龍絵師、尾張一筆龍【暁ノ龍】を名乗る原田 暁一さんが描いた白龍様です。
2023年7月7日吉日に奉納されたそうです。
原田さんは、4月より名古屋で龍画師として活動を始めたそうです。
【龍のアトリエ】出張アトリエ&ギャラリーが西区で開かれていたので、2023年8月27日(日)に見にいってきました。
はがきサイズの龍の絵を、来店特典としていただきました。
フレームに入れて、いつでも見れるように、机の上にかざっています。
尾張一筆龍 暁ノ龍
尾張一筆龍 【暁ノ龍】運営者 | 龍画師(一筆龍絵師 )原田 暁一 Akikazu Harada |
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ギャラリーに展示された絵は、本物の龍のように生き生きとしていて、心をつかまれました。
白龍龍寿大神のご利益は何かな?
商売繁昌、出世、金運、運気上昇、開運のご利益
蛇は何度も脱皮を繰り返すイメージから、富の象徴にもたとえられています。
白蛇は弁財天の使者なので、縁起の良い生き物とされています。
白龍神はどうして金運がアップするといわれるの?
金運や勝負運が上がる日は、一粒万倍日(いちりゅうまんばいび)、巳の日(みのひ)、己巳の日(つちのとみのひ)、天赦日(てんしゃび)などがあります。
吉日に白龍龍寿社に参拝するといいですね。
⑤洲崎の十二支参り
洲崎神社には、十二支の石像がすべてそろっています。
生まれ年の干支やその年の干支に参拝することができます。
家族そろってのお参りでしたら、洲崎神社だけで、済ませることができます。
十二支の石像(実際は何かの金属のよう。素材は何かわからないので石像とします)は参道沿いに祀られていますので、本殿の参拝後に、石像にお参りしましょう。
自分の干支の守護本尊を知る
十二支参りの目的は、自分を守っていただいている仏様にお参りをして、ご利益やご加護を得ることです。
その仏様を守護本尊といいますが、生まれ年の干支によって決まります。
十二支参りをするなら、ご自分の守護本尊を知っておくといいかもしれません。
十二支参りは、十二支の守護本尊に参拝することが重要ですが、仏様を象徴する石像にお参りすることでも、一定のご利益が期待できると考えられています。
守護本尊と干支の対応表は、以下の通りです。
守護本尊 | 干支 |
---|---|
千手観世音菩薩 (開運厄除、延命息災、極楽往生) | 子年生まれ |
虚空蔵菩薩 (学業成就、福徳円満、所願成就) | 丑年生まれ 寅年生まれ |
文殊菩薩 (学業成就、合格祈願、煩悩消滅) | 卯年生まれ |
普賢菩薩 (開運、運気上昇、増益、延命息災) | 辰年生まれ 巳年生まれ |
勢至菩薩 (家内安全、除災招福、煩悩消滅) | 午年生まれ |
大日如来 (開運厄除、所願成就、災難除け) | 未年生まれ 申年生まれ |
不動明王 (心願成就、交通安全、煩悩の消滅) | 酉年生まれ |
阿弥陀如来 (延命息災、家内安全、極楽往生) | 戌年生まれ 亥年生まれ |
その他のご利益ポイント
「なで牛」には、病気平癒のご利益があるとされています。
自分の体の悪いところと同じ場所をさすると回復に向かうと信じられています。
神話では、ネズミが大国主命を火災の難から救ったという話があり、大国主命と関係があります。
大国主命は縁結びの神様、さらにネズミは多産であることから、子授け、安産のご利益があるとされています。
植物の成長過程から見ると「癸(みずのと)」は、種子がいつ芽を出すか見定めている状態。そのための準備を整える状態を表します。
また、「卯(う)」の字は、万物の成長が盛んになっている状態を表します。
- 2023年「癸卯の年」は、何かを始めるのに良い年といわれています。
- 2024年「甲辰」(きのえたつ:種子が芽吹き、大きく成長するという意味があります)は、前年から続けてきたことの成果が得られる年といわれます。
- 2025年「乙巳」(きのとみ:草木が伸びきった状態を意味します)は、努力することで身を結び、幸運や財運を招く年といわれます。
2023年に何かを始めて、2024年にはそれを堅実に実行することで、2025年には成果が現れるという意味ですね。
恋愛でいえば、2023年に新たな恋を始め、2024年恋を育み、2025年その恋が成就する(結婚!?)
(洲崎神社へ行って縁結びするといいですね!)
「現代に息づく陰陽五行」稲田義行著 日本実業出版社 p97~108参照
皆さんも何か新しいことを初めてみてはいかがですか。
いくつかの石像は、作風が似ています。同じ作者が制作したのではないでしょうか。
~洲崎神社の干支参りは、神仏習合時代の風習をそのまま残しているのではないかと考えます。~
2024年初詣参拝の様子
2024年1月2日に初詣に行ってきました。
その様子をご紹介します。
おみくじを引いてみたところ、小吉でした。
神様からのメッセージとして受け止め、今後の教訓として心に刻みます。
開運御守の福銭も入っていましたので、大切に財布に収めさせていただきます。
参道の途中には干支みくじも設置されています。
まとめ
洲崎神社は、恋愛成就のほかにも、さまざまなご利益や魅力のある神社です。
洲崎神社のような歴史ある神社は、さまざまなエピソードや、不思議な経験談が数多く存在するのではないかと思われます。
神様に祈願した人の中には、「運命の人と出会った」「思いがけない臨時収入があった」「健康を取り戻した」「無事に子どもを出産した」「難を逃れた」などの経験をした方がいらっしゃるのではないでしょうか。
洲崎神社は、そういったことも含めて、人々から篤く信仰される神社であると思います。
洲崎神社を参拝して感じること
私は、洲崎神社を参拝した後、本殿の前の長椅子に座って休憩をします。
さわやかな風が吹くと、とても心地いいです。
風が木の葉を揺らす音を聞いたりしながら深呼吸します。
本殿でお参りをしている時に、スーッと風が吹くと、肩の力が抜けて気持ちが楽になります。
この洲崎神社で過ごす時間は、いつも特別な時間に感じられます。
境内全体がパワースポットなのかもしれませんね(^^♪
境内でゆっくりくつろいで、リラックスしてみてください。気持ちが満たされますよ(^^♪
参拝の楽しみかた
4歳の孫と参拝に行くと、孫は坂を走り、岩の上を飛び跳ねて、ハラハラさせられます。けれど、孫が喜んでいる姿を見ていると、私も嬉しくなります。きちんとお参りをしたので、「神様も少しなら許してくれるかな」と勝手に思います♪
神様も、子どもがくると元気になるような気がします。
他の人に、迷惑をかけないように注意しますが、あまり叱りすぎると「もう行かない!」と言うので、難しいところです。
でも、孫と行く参拝は、いつも楽しいです。
洲崎神社は、一人でも、家族や友人、誰とでも気軽に参拝できる神社です。楽しんでお参りしましょう(^^♪
洲崎神社について思うこと
洲崎神社は、年月を経て、多くの社を受け入れてきました。
そして、尾張地方の歴史や文化を今に伝える貴重な存在となっています。
洲崎神社は、仕事運、恋愛運、金運のご利益が有名です。
けれど、洲崎神社の雰囲気は「どんな祈りも受け止めてくれる懐の深い神社」と感じます。
なかでも「人との絆を大切したい」と願った時、一番力を発揮してくれるのではないかと思います。
東日本大震災後、人々は絆を大切にしました。
現在はコロナ禍により、人とのつながりや絆が薄れているように感じます。
今一度、洲崎神社で、「絆を深める」ための縁結びをしてみてはいかがでしょうか。
「自分から良い縁を結びに行けば、より良い縁に恵まれる」そこから運が開けると考えます。
洲崎神社からは、こんなメッセージを受けます。
「自分が思う結果が得られなくても、周りがどんなに変化しても、ありのままを受け入れて前に進む」
そういった姿を見せてくれた洲崎神社に、感謝の気持ちを込めて参拝したいと思います。
ぜひみなさんも一度洲崎神社に参拝してみませんか
最後まで読んでくださりありがとうございました!
皆様にいいご縁がありますように。
伊奈波神社へ行ったときに、とっても気持ちのいい木があったので写真におさめました。
次回は、伊奈波神社の記事を書きます。どうぞ応援してくださいね♪
参考文献
『神話のおへそ』扶桑社 監修・神社本庁
『神社のいろは』扶桑社 監修・神社本庁
『現代に息づく陰陽五行』稲田義行著 日本実業出版社