2026年は十二支の「午(馬)年」。力強く駆ける馬のように「前進」と「勢い」を象徴し、新しい挑戦や飛躍を後押ししてくれる一年だといわれています。
そんな午年に訪れたいのが、大津の古社・長等神社(ながらじんじゃ)。
その境内に鎮座する馬神神社(うまがみじんじゃ)は、午年と特にご縁が深いといわれています。
1300年以上の歴史を誇る長等神社は、天智天皇の御代に近江大津宮の鎮護として創建され、古来より人々の暮しを見守ってきました。
境内には五柱の御祭神が祀られ、開運や繁栄、鎮護をはじめ、芸能・恋愛・安産・長寿・厄払いなど、多彩なご利益を授けてくださいます。
一方で馬神神社は、大化の改新のころにその起源を持つと伝わる、由緒あるお社です。
古来より馬は、勝負運や出世運、金運にまつわる縁起の良い存在として親しまれてきました。
馬神神社は、新たな挑戦や飛躍を願う方にとって、まさに心強い支えとなります。
本記事では、長等神社と馬神神社の歴史や見どころ、ご利益、御朱印などをご紹介します。
また、長等神社の少し珍しい祈願方法についてもお伝えします。
霊験あらたかな長等神社と馬神神社へ、ぜひ足を運んでみてください。

長等神社とは?

長等神社の由緒

長等神社は、天智天皇が近江大津宮へ遷都された西暦667年頃、都の鎮護として須佐之男命(すさのおのみこと)を長等山岩座谷の地に祀られたことに始まります。
貞観2年(860年)には智証大師(円珍)が日吉山王神を勧請し、三井寺一山の守護神として祀られ、新日吉社、新宮社と称されて崇敬を集めました。
天喜2年(1054年)には現在の地へと遷宮され、今日に至ります。
現在は勝運・魔除けの神を祀る建速須佐之男大神(たけはやすさのをのおおかみ)・大山咋大神(おおやまくいのおおかみ)をはじめ、五柱の御祭神をお祀りしています。
開運・繁栄・厄除けなど幅広い御神徳を授ける大津の大社として、人々から厚い信仰を受けています。
天智天皇の時代より続く歴史

| 年号 | 出来事 |
|---|---|
| 667年(天智天皇 6年) | 天智天皇が近江大津宮へ遷都した際、都の鎮護として須佐之男命を長等山・岩座谷の霊地にお祀りしたのが創祀と伝わる。 |
| 669年(天智天皇 8年)5月5日 | 天皇が宇治山科からの帰途に弓矢を奉納。 その日を大友与多王(天智天皇の御孫)が祭日と定め、現在も5月5日が例祭日。 |
| 860年(貞観2年)2月 | 智証大師(円珍)が日吉山王神を勧請し、三井寺一山の守護神として祀られる。 この頃より「新日吉社」「新宮社」と称される。 |
| 1054年(天喜2年)4月 | 現在の地に遷座し、その地を「神出」と呼ぶようになる。 |
| 1081年(永保元年)4月 | 白河天皇が勅使を遣わし、国家安泰を祈願。 |
| 1336年(延元元年) | 南北朝の戦乱により、社殿・楼門など多くの建造物が焼失。 |
| 1340年(興国元年) | 足利尊氏によって社殿・回廊・楼門などが再建される。 その壮麗さから「湖南の大社」と称され、皇室・武将・民衆から篤く崇敬を受ける。 |
| 1883年(明治16年) | 社号が「長等神社」と改められる。 |
| 1904年(明治37年) | 鎌倉様式を基本に、平安・室町時代の和様建築を取り入れ、現在の楼門が再興される。 |
| 1910年(明治43年)1月 | 県社に列せられる。 |
| 1972年(昭和47年)7月1日 | 楼門が中世社寺建築の優れた復元例として評価され、大津市指定文化財となる。 |
| 1982年(昭和57年)4月 | 長等神社創立1300年記念大祭が斎行される。 |
※本稿の年表・歴史解説は、『長等神社由緒』案内および公式サイトを参考に作成しています。
長等神社の御祭神とご利益

| 御祭神 | ご利益 |
|---|---|
| 建速須佐之男大神(たけはやすさのをのおおかみ) | 悪疫退治、縁結び、五穀豊穣、除災招福 |
| 大山咋大神(おおやまくいのおおかみ) | 五穀豊穣、知恵、繁栄、魔除け |
| 市杵島姫大神(いちきしまひめのおおかみ) | 芸能上達、交通安全、恋愛成就、美のご利益 |
| 宇佐若宮下照姫大神(うさわかみやしもてるひめのおおかみ) | 安産、縁結び |
| 八幡大神(やはたのおおかみ) | 武運・勝負運 |
総合的に「開運」「繁栄」「鎮護」「芸能」「恋愛」「安産」「長寿」「厄払い」の御神徳が授かります。
開運・勝運・金運のお社 ― 馬神神社

馬神神社由緒



馬神神社は、現在は長等神社の境内に鎮座し、馬を守る神として古くから信仰されてきました。
もともとは旧大津東町に祀られており、全国でも数少ない「馬神」を祀る社のひとつとされています。
その起源は非常に古く、7世紀の大化改新の頃、大津は「駅家(うまや)」として栄え、都と各地を結ぶ交通の要所でした。
天智天皇が大津京の造営に用いた飛騨の材木を運ぶ際に「大津馬」が使われ、馬神神社の神札を馬に付けて使役したといわれます。
こうした歴史的背景から、馬を守護する神としての信仰が深まり、旅人や運送に携わる人々が道中の無事を祈って参拝するようになります。
大津の駅馬を通行する際には必ず馬神神社の守札を受け、帰国したのだそうです。
天正年間、豊臣秀吉公が交通路を整備する際には、馬神神社を深く崇敬したと伝わります。
江戸時代には大津が東海道の重要な宿駅となり、参勤交代する大名や旅人が、馬の安全を願って馬神神社に祈願しました。
寛永年間に全国で馬の悪疫が流行した時、神札「だいば除け」を諸国に配布したところ疫病が鎮まったと伝わります。
以来、関東・東北・信濃・飛騨など各地で厚い信仰を集め、馬の腹掛けに「大津東町馬神社」と染めたものを身につけ、疫病除けをしました。
現在も馬神神社には、牛馬を扱う地域の人々や競馬関係者の方が多く参拝をします。
明治43年の省令により、旧大津東町から現在の長等神社境内へと遷座されました。
参考資料
大津東町馬神神社略縁記
長等神社由緒 三、境内神社 馬神神社より
馬神神社の御祭神とご利益
| 御祭神 | ご利益 |
|---|---|
| 少彦名命 | 健康・医薬・病気平癒 |
| 須佐之男命 | 開運・出世・厄除け・家内安全 |
| 豊受大神 | 五穀豊穣・家庭円満・商売繁盛・食の安全 |
馬は荷物を運ぶことから交通安全、旅の安全にもご利益があるといわれています。
馬神神社が「開運スポット」といわれる理由

馬は古くから“神さまの乗り物”とされ、勢いよく天へ駆け上がる姿は、飛躍・前進といった運気上昇の象徴とされています。
馬を守護する馬神神社には、少彦名命(医薬・健康)、須佐之男命(厄除・開運)、豊受大神(豊穣・商売繁盛)の三柱の神々が祀られています。
いずれも人々の生活・仕事・医薬・健康を守る神として古くから信仰されてきました。
神様の御神威と、馬が象徴する力が重なることで、「開運・勝負運・金運」といったご利益が授かると信じられています。
隣に鎮座する両御前神社には、八幡大菩薩(勝運・武運・厄除)、春日大明神(国土守護・開運)、住吉大明神(海上安全)などの神々がお祀りされ、馬神神社の参拝をさらに後押ししてくれる存在です。
新しい挑戦や商売繁盛、仕事運のアップを願うとき、馬神神社は心強い味方になります。
参拝すると、運気も自然と上向くように感じられるでしょう。
午年には何を祈願する?
2026年の午年は、60年に一度の丙午(ひのえうま)でもあり、運気の転換点として注目されています。
長等神社と馬神神社では、次のような祈願がおすすめです。
| 勝負運・仕事 | 受験や資格試験、転職、ビジネスの成功など、「勝負の一年」にしたい方に最適です。 勢いよく跳ねる馬のイメージから、勝負事で力を発揮したいときにぴったりです。 |
| 金運・商売繁盛 | 午(うま)は「うまくいく」に通じることから、金運上昇や商売繁盛の祈願も人気です。 事業や生活の豊かさを願う方におすすめです。 |
| 厄除け・病気平癒・災難除け | 丙午は変化の多い年とされるため、厄除けや病気平癒の祈願で不安を祓うとよいでしょう。 |
| 健康長寿・家内安全・恋愛成就 | 日々の健康や家庭の安寧を願う祈願です。 また、美しくなって恋愛を成就させたい方にもおすすめです。 |
馬神神社は古来より、馬の守護神として信仰されてきました。
かつては農耕や運搬を支える大切な存在として、馬の安全や健康が祈られました。
現代では競馬・乗馬・牧場など、馬に関わる人々がその無事や健闘を願って参拝しています。
馬神神社は今もなお、馬と人を守り続ける神様が祀られ厚い信仰を集めています。
境内の見どころ

大津市指定文化財の楼門

長等神社楼門は、昭和47年7月1日に大津市指定文化財に指定。
室町時代の建築様式にのっとったもので、明治37年5月に建立。

楼門の左右に鎮座する随身(ずいじん)は、神聖な聖域を邪悪なものから守る門番の神々であり、神様を護衛する役割を担っています。
剣や弓矢を持ち、武官の姿をしているのが特徴です。
龍の手水舎

長等神社の手水舎。水口に祀られた凛々しい龍が、澄んだ水を静かに吐き出しています。
古社の雅な雰囲気を引き締めながら、どこか温かさも感じさせます。
龍は古くから水をつかさどる神聖な存在とされ、災いを祓い、清らかな水をもたらす象徴といわれます。
この水で手と口を清めると、自然と心が整っていくでしょう。
拝殿

長等神社の拝殿は、入母屋造の落ち着いた佇まいが特徴です。流れるような端正な屋根が印象的です。
両御前神社御祭神

御祭神は、八幡大菩薩、加茂大明神、松尾大明神、叡山三聖、春日大明神、住吉大明神、新羅大明神、石座大明神。
もともと神出の御旅所(おたびしょ)にありましたが、明治43年の省令により、現在の場所に遷座されたと伝えられています。
稲荷神社御祭神
御祭神は宇賀之魂神と倉稲魂神で、古くから長等神社の境内に祀られてきたと伝えられています。
倉稲魂神は京極高次の大津城において守護神とされていましたが、明治43年の省令により長等神社へ合祀されています。
笠森神社

御祭神は不明。
九月中旬になると社殿の近くの樹齢数百年の松(現在なし)の頂きに、比叡山から鞍馬山へ行く天狗が立ち寄る時に起こる風の音が聞こえるとされています。
miko天狗が起こす風とはどんな音なのでしょうか。聞いてみたくなりますね♪
参考資料:長等神社由緒 三、境内神社より
長等神社の楽しみ方


長等神社では、歴史と美しさが調和した境内を楽しめます。
春には桜が参道を彩り、秋には紅葉が境内を包み込み、四季折々の自然も魅力です。
1300年の歴史を感じながら、ゆったりと散策するのもおすすめです。
もう一つの楽しみ方として、本殿を囲む回廊を年の数だけ巡ることで、美女祈願・縁結び・安産・魔除けなどの参拝が行えます。



以下を参考にしてみてくださいね♪
本殿を囲む回廊で美女祈願と魔除け参り!


本殿を取り囲む回廊を年の数だけ棒を持って巡れば、美女祈願や縁結び、安産、魔除けの参拝ができます。
この箱の中の棒を年の数だけ持って左回りに回廊をまわり、御神前でお参りした後、箱に一本棒をもどす。これを繰り返す。(高齢の方は本数が多くなりますので、10年で一本計算で、されては・・・。)
出典:回廊周りの案内より



静かで落ち着いた回廊を繰り返し巡っていると、お母さんのお腹の中にいるような、不思議な安心感を覚えました。
時間があれば、ぜひ体験してみてくださいね♪
平忠度の歌碑


平忠度は、平清盛末弟とされます。
「さざなみや 志賀の都は 荒れにしを 昔ながらの 山桜かな」
長等神社・馬神神社の御朱印


勝運魔除の神 長等神社、午年の守護神 馬神神社の御朱印直書きでいただきました。若い女性の方がとても丁寧に書いてくださりました。



心がこもった御朱印、とてもうれしかったです♪ありがとうございました。
長等神社・馬神神社の授与品
社務所では、勝守や馬蹄御守、馬の形をした絵馬、おみくじなど、さまざまな授与品を受けることができます。
中でも馬をモチーフにした御守りや絵馬が人気で、絵馬は本殿の回廊に奉納すれば、運気向上につながるとされます。


※お守りなどの写真は掲載のご許可をいただきました。
長等神社基本情報
| 名称 | 旧縣社 長等神社(新日吉社・新宮社) |
| 住所 | 滋賀県大津市三井寺町4-1 >>地図を開く |
| 電話番号 | 077-522-4411 |
| 御朱印 | 有 |
| 駐車場 | 無 |
| アクセス | 京阪石山坂本線 三井寺駅から約600m 徒歩約8分 京阪石山坂本線 びわ湖浜大津駅から約950m 徒歩約14分 |
まとめ
1300年の歴史を持ち、五柱の神さまが多彩なご利益を授けてくださる長等神社。
境内にある馬神神社は、「前進」や「飛躍」を願う参拝者に寄り添う場所として親しまれています。
馬神神社は馬を守護する神社として知られ、競馬関係者をはじめ、開運や勝運を願う多くの人々が参拝をします。
「運をつかみたい」「新しいことに挑戦したい」「飛躍の一年にしたい」そんな思いがあるかたは、ぜひ長等神社、馬神神社を訪れてみてください。
古社の落ち着いた雰囲気の中で願えば、新たな一歩と大きな飛躍を神様が力強く後押ししてくれるでしょう。
記事を最後までお読みくださりありがとうございました♪
参考資料
- 『長等神社由緒』案内
- 『大津東町馬神神社略縁記』 滋賀県大津市長等山麓(長等神社境内)馬神神社
参照WEBサイト:長等神社ホームページ





