滋賀県大津市の琵琶湖畔にたたずむ浮御堂(うきみどう)は、平安時代に建てられた歴史ある仏堂です。
比叡山の僧・源信が、湖上の安全と衆生(すべての生きとし生けるもの)の救済を願い、千体の阿弥陀仏を安置したのが始まりといわれます。
浮御堂は、近江八景の一つ「堅田の落雁」として知られる景勝地で、四季折々の美しい景色が楽しめます。
湖面に浮かぶ木造の優美な姿が、まるで絵画のように美しく、見る人の心をとらえます。
この静かな寺は、ゆっくり散策するのに最適なスポットです。
晴れた日には、静かな湖畔を歩きながら、穏やかな湖面を眺めて過ごすのはいかがでしょうか?
この記事は、浮御堂の魅力、歴史、見どころ、御朱印、周辺散策情報、基本情報などを紹介しています。
琵琶湖の美しい景色と歴史を感じる浮御堂に、ぜひ一度訪れてみてください。
浮御堂の基本情報
名称 | 海門山満月寺浮御堂 (かいもんざんまんげつじうきみどう) |
住所 | 滋賀県大津市本堅田1-16-18 |
電話番号 | 077-572-0455 |
拝観時間 | 8:00~17:00 |
料金 | 拝観料300円 |
御朱印 | 有 300円 |
駐車場 | 無料駐車場あり |
アクセス方法 | 電車の場合 JR湖西線堅田駅下車 町内線循環バス堅田駅→堅田出町下車 徒歩6分 450m→満月寺到着 車の場合 湖西線161号真野ICより10分 距離4.1km 東京 5時間42分 距離 466km 大阪 1時間04分 距離 75.6km 名古屋 1時間54分 距離 140km |
浮御堂の歴史
滋賀県大津市堅田にある浮御堂は、平安時代中期の比叡山横川(よかわ)の恵心僧都(えしんそうず)源信により建立されました。
長徳年間(995年)、源信が比叡山の横川から琵琶湖を眺めていると、毎夜琵琶湖が光っていることに気づきました。
不思議に思い網ですくってみたところ、一寸八分(約5.5センチ)の黄金の阿弥陀仏像が現れました。
源信は、阿弥陀仏像1体を造り、その黄金の阿弥陀仏像を体内に納め、さらに千体の阿弥陀仏像を堂に安置したのがこの浮御堂の始まりといわれます。
浮御堂は「千体仏堂」とも呼ばれています。
浮御堂は、臨済宗大徳寺派海門山満月寺というお寺で、登録有形文化財に指定されています。
浮御堂という名は、湖中に突き出た桟橋の端に、お堂が水面に浮かぶように建っていることから名づけられました。
江戸時代に、桜町天皇(在位1735年~1747年)は能を再興し、琵琶湖に舟を浮かべて鑑賞されたそうです。
仏堂の前面には小さな能舞台が設けられ、演者は仏様に向かって能を奉納しました。
浮御堂には、松尾芭蕉や高浜虚子(たかはまきょし)、阿波野青畝(あわのせいほ)などの俳人たちが訪れ、境内には彼らの句碑が立っています。
また、歌川広重(うたがわひろしげ)や葛飾北斎などの絵師も訪れています。
現在の浮御堂は、昭和9年(1934年)の室戸台風で倒壊しましたが、昭和12年(1937年)に再建されました。
仏像もいくつか失われたそうですが、新しい仏像がまた安置されています。
昭和57年(1982年)に大規模な修理が行われました。
参考文献:滋賀県ホームページ「近江水の宝」
紫式部『源氏物語』で描かれた「横川の僧都」とは?
紫式部の『源氏物語』五十四帖の一部「宇治十帖」には、源信をモデルとする横川の僧都が登場します。
(横川の僧都とは『源氏物語』に登場する架空の人物のことです)
源信は寛和元年(985年)に、西方浄土に往生するための阿弥陀念仏実践書『往生要集』を著しました。
平安時代この『往生要集』は、藤原道長や貴族、僧侶たちに大きな影響を与えています。
(『往生要集』は、死後の世界や極楽浄土への往生について説明された書物です)
紫式部も源信の名声を耳にしていたため、横川の僧都に源信の面影を重ねて、物語に登場させたと考えられています。
『宇治十帖』は、光源氏がこの世を去った後の物語です。
薫(かおる)と匂宮(におうのみや)、その二人の男性に愛された主人公・浮舟(うきふね)、そして横川の僧都の思いがつづられています。
主人公の浮舟は、薫と匂宮に愛されることで深い苦悩を抱え、宇治川に入水してしまいます。
彼女は、そこに通りかかった横川の僧都たちに助けられ、比叡山の小野の里に連れられ、静かな生活を始めることになります。
しかし、死ねなかったことに悩む浮舟は、世俗の苦しみから解放されるため、ついに出家を決意します。
横川の僧都に髪を切ってもらい、尼僧として新たな人生を歩み始めるのでした。
『源氏物語』のクライマックスでは、浮舟が御仏の弟子となり、心の平穏と安らぎを得て物語は静かに幕を閉じます。
紫式部は、自身の心の内面や信仰、安らぎを求める心を浮舟に重ね、物語にその思いを込めたのかもしれません。
紫式部もこの浮御堂を訪れて、阿弥陀仏に心の安寧を祈ったかもしれませんね♪
参考文献:大和和紀著 源氏物語『あさきゆめみし』第2部「宇治十帖」編 其の十
浮御堂の魅力
浮御堂の魅力は、静寂な美しさと歴史を感じながら、琵琶湖の景色をゆっくり堪能できるところにあります♪
浮御堂からは、琵琶湖の雄大な景色がパノラマのように広がります。
対岸の風景や近江富士(三上山)が見え、琵琶湖大橋もはっきりと確認できます。(高浜虚子水中句碑の写真で確認できます)
近江八景の一つとされる優美な景観は、多くの俳人に愛され、歌が詠まれてきました。
境内に残る句碑を巡るのも楽しいですね♪
観音堂には、約900年前の尊像、重要文化財の聖観音座像が安置されています。
そして浮御堂の魅力は、境内に植えられた松の木も見逃せません。
350~400年を超える老松は、その存在感から歴史の重みを感じさせ、趣深い景観を生み出しています。
ぜひ、これらの松もごらんになってくださいね♪
浮御堂(満月寺)見どころ
浮御堂の山門
駐車場を降りてすぐに満月寺の山門があります。
山門の前には大きな松が立っており、訪れる人々を出迎えてくれます。
石碑には「浮御堂」と書かれており、門には「名所堅田の落雁」「海門山満月寺」と記されています。
浮御堂の阿弥陀仏像「千体仏」
扉が開いていたので、阿弥陀仏様にお参りすることができました。
お堂の中には千体の阿弥陀仏様が並んでいます。どの仏像様も金色に輝いています。
なぜ仏像は金色なのでしょうか?
金色は仏教において神聖で高貴な色とされています。
仏様の偉大さを象徴するために使われるのだそうです。
また、金は腐食しにくく、長期間美しい状態を保つことができるため、仏像の保存にも適していたといわれます。
浮御堂の歴史的価値
平安時代に浮御堂が建てられて以来、一時戦乱で荒廃したものの、金色の阿弥陀仏像はずっと守られてきました。
これは、湖の安全を願う人々の強い思いがあったからでしょう。
この景勝地には多くの文化人が訪れ、俳句や絵画にその景色を残しました。
その結果、浮御堂は歴史的価値と美しさが際立ち、仏堂としてだけでなく、文化的象徴としても認識されるようになりました。
美しさが多くの人の心をうち、浮御堂の魅力が広く知られるようになったのだと思います。
昔の人々の信仰心や価値観、そして自然や風景をどのように感じていたのかに思いを馳せると、見る人それぞれで、この琵琶湖の風景も味わい深いものになりますね♪
満月寺観音堂
満月寺の本堂観音堂は、登録有形文化財に指定されています。
観音堂内には御本尊の聖観音座像が安置され、重要文化財に指定されています。
観音堂は中央松の木の後ろに隠れています。(※観音堂は撮影不可とありましたので写真はありません)
満月寺の茶室「玉鈎亭(ぎょくこうてい)」
玉鈎亭は、登録有形文化財(建造物)に指定されています。
枝が茶室玉鈎亭を真横に伸びる老松も見ごたえがあります!
支柱が設置され、きれいに剪定(せんてい)されています。
幹周り2.8m、樹高10m、枝張り29m
松の枝が一文字に伸びとても印象的でした♪
見事な松を見ることができて良かったです♪
浮御堂の老松
- 浮御堂の松
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クロマツ、幹周り3.9m、樹高8m、推定樹齢400年
松は支柱でしっかりと支えられながら、桟橋にかかるように斜めに立っています。
松は湖面に枝を伸ばし、その姿を映し出しています。
松は寿命も長く、一年を通して青々とした葉を茂らせる常緑樹で、不老長寿の象徴ともいわれています。
この松は、上にも横にも力強く枝を広げ、生命力があふれています。
立派な姿から縁起の良さが感じられます。
浮御堂の句碑
高浜虚子の句碑
お堂の回廊を進むと、湖中に高浜虚子の句碑が立っています。
句碑には「湖も此の辺にして鳥渡る 虚子」と刻まれています。
お堂からの眺めは素晴らしく、琵琶湖大橋や対岸が一望できます。
うっすらと見える近江富士(三上山)も、天気が良ければもっとはっきりと見えるでしょう。
松尾芭蕉の句碑
- 松尾芭蕉句碑
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「比良三上 雪さしわたせ 鷺の橋」
元禄 3年(1690年) 冬から翌年の春にかけて大津で詠まれた「比良の暮雪」を詠んだ句。
もう一つは、「堅田の落雁」を詠んだ句。
「鎖あけて 月さし入れよ 浮御堂」
中井余花朗句碑
- 中井余花朗(なかいよかろう)句碑
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「春風や 人陸にあり 舟にあり」
昭和25年3月高浜虚子の喜寿祝賀同人会の際の作といわれます。
浮御堂御朱印
- 浮御堂御朱印
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直書き 300円
墨書き
令和6年8月15日 千体仏 満月寺 浮御堂
浮御堂お守りとおみやげ
幸せ花まもり・健脚健康草履守・すこやか子どもお守り・絵馬などが置かれています。
交通安全・学業成就のお守りとお土産もあります。
浮御堂周辺観光
浮御堂周辺を歩いてみよう!
浮御堂へお参りした後は、美しい湖畔の景色も歩いて楽しんでみてください♪
芭蕉句碑や歴史的な建物が点在しています。
上伊豆神社 | 0.07 km |
JR堅田駅 | 1.8 km |
北部地域文化センター | 0.9 km |
県立堅田高等学校 | 0.6 km |
堅田港 | 0.4 km |
芭蕉記碑・十六夜の弁 | 0.3 km |
浮御堂(満月寺) | 0.1 km |
おとせの浜 | 0.15 km |
堅田藩陣屋跡周辺、歴史を感じてみよう!
上の写真は、「伊豆神社」、「伊豆神社周辺」、「キムチの玉朱(おくじゅ)」さん、「ラメリストア」さんです。
堅田藩陣屋跡の内容
堅田藩の陣屋は、江戸時代に四代将軍徳川家綱の幕臣、大老堀田正俊一族が六代にわたり、約130年間藩主を勤めた場所です。
初代藩主の堀田正高は、1698年に下野国(栃木県)から転封(てんぽう:江戸時代、大名の領地を幕府の命で替えること)され、堅田に藩庁(陣屋)を建設しました。
その際、正高は、民家を移転させて城下町風の都市を作り上げ、水濠を整備し、周りを寺や家臣、郷士(ごうし:武士の身分のまま農業に従事した者や、武士の待遇を受けていた農民)屋敷で固めました。
文政九年、堀田正敦が下野国へ移ると、堅田藩は佐野藩の治下となり、その後廃藩となりました。
現在、祥瑞寺には三代目藩主堀田正永の墓が残されています。
また、右側に見える堀割(ほりわり:地面を掘ってつくった水路)は、当時の舟入りで、昭和初期まで問屋へ物資を運ぶ船が頻繁に利用していたといわれます。
この地域には江戸時代の歴史を感じさせる遺構が残っています。
散策すると、当時の町並みや人々の暮らしを偲ぶことができますね♪
湖魚佃煮専門店「魚富商店」おみやげにいかが?
昭和5年に創業した浮御堂前にある湖魚佃煮専門店。
琵琶湖の堅田の漁港で取れた湖魚を防腐剤・添加物を一切使わない昔ながらの製法にこだわっているとのこと。お土産、贈答品にもぴったりですね♪
- 店舗情報
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滋賀県大津市本堅田1丁目16-14
TEL 0120-105-292
営業時間 9:00-17:00/木曜定休
まとめ
浮御堂(滋賀県大津市本堅田)は、平安時代に建立された歴史ある仏堂で、琵琶湖畔に位置しています。
比叡山の僧・源信が湖上の安全と衆生の救済を願い、千体の阿弥陀仏を安置したことがその始まりとされています。
源信と同じ時代を生きた紫式部の『源氏物語』には、源信をモデルとした横川の僧都が登場し、平安貴族との深い関係が描かれています。紫式部も、大津の浮御堂に足を運んだのではないでしょうか。
近江八景の一つとして知られる浮御堂は、美しい木造建築と湖面に浮かぶ姿が訪れる人々の心を魅了しています。
周辺の歴史的な遺構や四季折々の湖畔の風景を散策するのもおすすめです♪
琵琶湖観光の際には、歴史と自然を感じに、浮御堂に立ち寄ってみてください。
この記事を最後までご覧くださり、ありがとうございました。
参考文献
大和和紀著 源氏物語『あさきゆめみし 7』第2部「宇治十帖」編 其の十 2001年8月3日発行 株式会社講談社
滋賀県ホームページ「近江水の宝」 https://www.pref.shiga.lg.jp/file/attachment/2042839.pdf 2024/11