こんにちは!今回は岐阜にある、絶大なパワーを秘める伊奈波神社を紹介します。
伊奈波神社は、初詣、七五三参り、御祈祷など、年間を通じて多くの参拝者が訪れます。
また、パワースポットとしても有名な神社ですが、なぜこれほど人気なのか、その魅力を探ります。
岐阜市で生まれ育った私は、伊奈波神社の初詣によく行きました。
子どものころ、多くの参拝者の中を、父に肩車をしてもらいながら参道を歩くのが楽しみでした。
伊奈波神社のことをよく知っていたつもりでしたが、歴史を調べてみると、新たな発見がいくつもありました。
そこで、伊奈波神社の主祭神がどのような神様だったのか、「岐阜のつたえ話 三社ものがたり」にふれながら紹介します。
近年、伊奈波神社周辺は人気観光スポットとして注目を集めています。
参拝後は、周辺の散策やランチを楽しんでみてはいかがでしょうか。
伊奈波神社で心身ともにリフレッシュし、新たな発見や感動を味わってみてください。
この記事は、伊奈波神社の歴史や見どころ、パワースポット、基本情報などを紹介しています。
歴史や、パワースポットに興味がある方におすすめです。
以前、こちらのページで紹介していた伊奈波神社周辺の情報は、より詳細な情報を提供するために、新設ページに移行することになりました。
伊奈波神社周辺の観光とおすすめのお店を紹介しています。
伊奈波神社創建の由来
伊奈波神社は、1900年以上の歴史がある神社で、現在の金華山の中腹にある丸山という場所に創建されました。
主祭神の五十瓊敷入彦命は、第十一代垂仁天皇の第一皇子として生まれ、第十二代景行天皇の兄にあたります。
景行天皇の御代に、「奥州から神石といわれる金石を大和へ運びこみなさい」という勅命が五十瓊敷入彦命に出ます。五十瓊敷入彦命は、その命を受け、大変な苦労をして奥州から金石を運び出します。
奥州からの帰り道、美濃の国の長良川に着きます。
対岸には、朝廷の旗も見えています。臣下の謀略によって、五十瓊敷入彦命は朝廷の敵とされ、川向うの官兵と戦います。
運んできた金石は、椿原(現在の金華山一角の丸山)に安置します。
もう負けてしまうと思い、天照大神に祈ると、その石は一夜にして金山(金華山)となりました。
そして、五十瓊敷入彦命は、その年、金山で子どもたちと共に亡くなります。
翌年、景行14年(814年)に天皇は、五十瓊敷入彦命を偲び、現在の金華山に社殿を建てさせました。
この社殿が旧伊奈波神社です。
(旧伊奈波神社については、この後の旧蹟地のレポートで紹介します)
その後、天文8年(1539年)、斎藤道三が岐阜城に居城する時、「城より下に神様があってはいけない」という理由で現在の場所へ移しました。
美濃の国は、三川(長良川、木曽川、揖斐川)に囲まれています。
恵まれた土地でしたが、川の氾濫が多く、人々は苦しんでいました。
伊奈波神社の神様は、洪水から人々を守る「水防の神様」として現在も祀られています。
金華山から見える長良川は、岐阜市を流れる一級河川です。
伊奈波神社旧蹟地のレポート
- 旧伊奈波神社創建時期
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景行天皇の御代(みよ)14年2月16日、椿原の金山に社殿(旧伊奈波神社)が建ったと伝承にあります。
- 伊奈波神社の遷移時期
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天文8年(1539年)斎藤道三が現在の場所へ移したとされています。
旧社殿は、江戸時代に復活した後、昭和初期まで、社殿が存在していたそうです。
- 旧蹟地所在地
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旧蹟地は、現在の金華山一角にある丸山の山頂にあります。
「瞑想の小路」入口から15分ほど登ると、丸山の山頂です。
- 旧蹟地現状
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旧蹟地には、祠がお祀りされています。
旧蹟地の場所は、旧社殿の上にあります。
祭礼が、毎年4月25日に行われているそうです。
- 丸山神社社殿跡
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旧社殿礎石が残っています。
江戸時代に伊奈波神社の摂社「丸山神社」として復活したそうです。
- 烏帽子岩由来
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現伊奈波神社にある烏帽子岩の「御神石」です。
五十瓊敷入彦命が烏帽子をかぶせたとも言われています。
岩肌の上に立つ、見ごたえのある木がありました。
見る角度を変えると、その木が龍の顔のように見えます。
土中で根を張ることができず、根っこの部分がこぶのように盛り上がっています。
厳しい環境に抗い、力強く生き抜いているその姿に深い感動を覚えます。
岐阜公園堤外駐車場(第一)から、山に向かって進みます。
左手に遊具広場が見えたら、その右側に登山道入口があります。
金華山の地質について
金華山は、ほとんどが硬い岩山です。登山道も木の根っこが浮き上がり、デコボコしています。
金華山は、ガラス質の殻を持つ海洋性動物プランクトンの化石でできた山だったんですね!「放散虫」を探してみましたが、素人にはよくわからなかったです。「放散虫」は、基本的に白く見えるそうです。
登山道を一歩一歩登るごとに、大きな巨石が姿を現します。その大きさは、数メートルにもなり、威圧感を放っています。伊奈波神社伝承で語られる金石はどのあたりに安置されたのだろうかと想像します。
金華山の山頂近くには、戦国時代の城主が権威を誇示するために築いた巨石が、多く残っています。登山道を上がりながら、巨石を見るのも楽しみの一つですね(^^♪
イニシキイリヒコノミコトとはどういう人?
伊奈波神社の創建の由来には、主祭神である五十瓊敷入彦命が深くかかわっています。
以下では、文 稲垣和秋著『岐阜のつたえ話 三社ものがたり(イニシキイリヒコノミコト)』と、筧真理子氏の『美濃国第三宮因幡社本縁起事 読み下し文』、伊奈波神社ホームページの「伊奈波神社について 広報コラムNo.16」を参考に、イニシキイリヒコノミコトがどのような人物であったのかを考察します。
以下本文では、五十瓊敷入彦命⇒イニシキイリヒコノミコト
「美濃国第三宮因幡社本縁起」⇒「本縁起」
「岐阜のつたえ話 三社ものがたり」⇒「岐阜のつたえ話」に変えています。
イニシキイリヒコノミコトの功績
イニシキイリヒコノミコトは、内政、軍事、土建など、あらゆる面で活躍されました。
そして、民を大切にし、いつくしみ、なさけをもって政治を行った方です。
農業を奨励し池や溝を築いて水利を整えます。民の生活が安定するよう、人々の福祉も充実させました。
その結果、地方の産業開発が進み国が豊かになったそうです。
☆「本縁起」によると、有事に備えて石上神宮に神剣一千口を献じ、国土の治安を維持する役割を担われたともあります。
物語のイニシキイリヒコノミコトについて
ミコトは数々の試練を乗り越えながら、美濃の国へと辿り着きます。
イニシキイリヒコノミコトは、景行天皇に、奥州から「金石」を大和へ運ぶという勅命を受け、「金石」に縄をかけ美濃の国まで持ち運んできました。
そして椿原に安置しました。
平田川(現在の長良川)の東側に到着したところで、対岸の西側に官軍10万の兵と対峙します。
その後、イニシキイリヒコノミコトの兵500余騎と官軍が戦いになります。
親しい臣下が次々と亡くなり、絶体絶命になったイニシキイリヒコノミコトは、天を仰ぎ、天照大神に祈ります。
すると平田川が大洪水となり、海のようになります。
椿原に安置していた金石も一晩で大きな山(現在の金華山)になりました。
戦いを断念したイニシキイリヒコノミコトは、子どもの市隼雄命(いちはやおのみこと)と、戦いの合間に生まれた御子と共に、無念のうちに現在の丸山に身を隠します。
☆「本縁起」に、イニシキイリヒコノミコトは、臣下のはかりごとに合い、椿原の金山に身を隠す(亡くなられた)と書かれています。
「岐阜のつたえ話」では、イニシキイリヒコノミコトが幼いわが子と共に戦いをしなければいけなかった悲しみの様子が描かれています。
そして、彼は朝敵とされ、ついには無念のうちに亡くなってしまいます。
以下は、イニシキイリヒコノミコトが神様となり、弟の景行天皇の夢に現れる場面です。
ミコトが神様になった最期の部分を抜粋して紹介します。
天皇はその報告を不思議に思われていたところ、数日たったある夜、天皇の夢にミコトが現われ、「陛下は国を統括し賢くあられるが、悪賢い臣下の言葉を信じ、金石も見ずに私に罪を負わされた。
引用:文 稲垣和秋 、『岐阜のつたえ話 三社ものがたり』 (イニシキイリヒコノミコト)、編集 三社ものがたり出版委員会
無実の罪で討たれたわたしであるが、大梵天(だいぼんてん)のあわれみで因幡大菩薩(いなばだいぼさつ)の神号(しんごう)をうけて椿原(つばきはら)の金山(かなやま)に住み衆生(しゅじょう:命あるものすべて)に仰がれております」と告げました。
天皇は大いに驚かれ、事の事実を確かめられました。
「ミコトにはやましい所がありませんでした。ましてや謀反などかんがえられません」「これは、トヨマスのはかりごとでした」事の真相が分かるにつれ、天皇はミコトの無実を確信されました。
「ミコト、申し訳ない」天皇は己(おのれ)の至(いた)らなさにに気づかれました。
「ミコトの魂(たましい)を鎮(しず)めるため、なんとしても美濃に立派な社殿を造るのだ」すぐに大臣武内宿祢(だいじんたけしうちのすくね)を勅使(ちょくし)として美濃に下しました。
景行(けいこう)天皇の御代(みよ)十四年二月十六日、椿原(つばきはら)の金山(かなやま)に立派な社殿(旧伊奈波神社)が建ちました。
そこに、ミコトである因幡大菩薩(いなばだいぼさつ)を祀ったということです。
発行 公益財団法人岐阜市教育文化振興事業団 理事長 飯沼隆司、p. 37-p39
☆「本縁起」には、もう一つの伝承があり、イニシキイリヒコノミコトは、老齢になるまで、石神神宮(いそのかみじんぐう)の神宝管理をしていたという記述があります。
垂仁(すいにん)天皇39年に、鳥取の河上宮(かわかみのみや)にいる時、神剣一千口を作らせ石上神宮(いそのかみじんぐう)に奉納し、神宝を管理されたそうです。
その後、垂仁天皇87年にイニシキイリヒコノミコトは老齢になったので、神宝の管理を、妹の大中姫命(おおなかつひめのみこと)にお願いしたそうです。
しかし、大中姫命は、「か弱い女人である」という理由で断ります。
その後、神宝管理の任務は、物部十千根大連(もののべのとおちねのおおむらじ)に治めさせたと書かれています。
時がたち、難行法師の前に現れ、「在世では、石上(いそのかみ)の神宝を主(つかさど)り垂跡(すいじゃく:仏様)の今は、金山に住み愚鈍の衆生を利すと示され」と書かれています。
一つめの伝承では、臣下のはかりごとにより、悲劇的な最期を迎えますが、二つめの伝承では、長生きをされたようです。イニシキイリヒコノミコトは、金山の命あるものすべての神となり、人々の願いを聞き届ける伊奈波神社の神様となったようです。
イニシキイリヒコノミコトの人物像まとめ
イニシキイリヒコノミコトという人は、公正な政治を行った人だったようです。
そのため、人々が従い国が豊かになったとされています。
また、剣を国のために一千口作ったと伝えられていることから、戦争や内乱などの脅威に備え、国の安全を守ろうとした優れた政治家だったと考えられます。
武勇に優れ、誠実で、リーダーシップを発揮する人物であったと言えます。
参考サイト
筧真理子 “平成19年1月号/伊奈波神社の縁起と金華山の異名” 伊奈波神社ホームページ 伊奈波神社について 広報コラムno8,(2023年10月7日取得 https://www.inabasan.com/wp/wpcontent/uploads/2021/09/19_1.pdf)
筧真理子 “平成23年1月号/美濃国第三宮因幡社本縁起事 読み下し文” 伊奈波神社ホームページ 伊奈波神社について 広報コラムno16,
(2023年10月7日取得 https://www.inabasan.com/wp/wpcontent/uploads/2021/09/23_1.pdf)
参考図書
稲垣和秋、『岐阜のつたえ話 三社ものがたり』 (イニシキイリヒコノミコト)、p. 37-p. 39
古田雅通、『岐阜のつたえ話 三社ものがたり』(イチハヤオノミコト)、p. 102-p. 104
編集 三社ものがたり出版委員会、公益財団法人 岐阜市教育文化振興事業団発行、理事長 飯沼隆司
開運招福ご利益マップ
伊奈波神社のご利益が一目でわかる地図を作成しました。
地図には、伊奈波神社の境内にある神社名と神様のご利益を記載しました。
参拝の際にお役立てください。
本殿をお参りしたら、目的に合った神社の神様に、参拝してみてはいかがでしょうか。
伊奈波神社の境内には、さまざまなご利益を授かることができる神社がありますので、きっとあなたの願いを叶えてくれる神様が見つかるはずです。
伊奈波神社の御祭神とご利益
主祭神
五十瓊敷入彦命(いにしきいりひこのみこと)
家内安全、商売繁盛、初宮詣、七五三詣、安産、交通安全、土木、水防、水利
五十瓊敷入彦命は、第11代垂仁(すいにん)天皇と日葉酢姫命(ひばすひめのみこと)の間に生まれた第一皇子です。
第12代景行(けいこう)天皇の兄にあたります。
配祭神
渟熨斗媛命(ぬのしひめのみこと)
家内安全、商売繁盛、殖産産業、金運招福、安産
五十瓊敷入彦命の妃
金(こがね)神社の金大明神の主祭神として祀られている
日葉酢媛命(ひばすひめのみこと)
五十瓊敷入彦命の生母
峯本宮(みねほんぐう)に祀られている
彦多都彦命(ひこたつひこのみこと)
五十瓊敷入彦命の外祖父
物部十千根命(もののべのとおちねのみこと)
物部(もののべ)神社に祀られていたが、伊奈波神社に合祀
功臣で、武器庫を管理
神門
階段を登りきると「神門」があります。普段は、ここで参拝をします。
末社
- 右側
-
大行事社・右御前社・峯八王子社・金社・大神門社・髙山社・品部社
- 左側
-
野宮八幡社・総神社・祖會路神社・兒御前神社・大国主神社・楠神社
伊奈波神社の境内社
黒龍神社
黒龍大神
福徳増進、所願成就
御祭神の高龗神(たかおかみのかみ)は雨水をつかさどる神様
和歌三神社・須佐之男神社・天満宮
住吉神・玉津島神・人丸神
学問、防火、防災、安産
須佐之男神社
厄難災除け、病難除去、病気平癒、商売繁盛
天満宮
厄難災除け、病難除去、病気平癒、商売繁盛
鳥居をくぐり左側へ進むと黒龍神社、右側にあるのが和歌三神社・須佐之男神社・天満宮の社殿です。
伊奈波大黒社
大己貴命(おおなむちのみこと)
福徳円満、延命長寿、病気平癒、五穀豊穣、縁結び、子授、夫婦和合、商売繁昌、金運
宝永6年(1709年)に鎮座。大国主命を祀る
大黒社の裏側へ進むと、大黒像と恵比寿像が仲良くお祀りされています。
日本の伝統的な風習として、家庭や店舗などで大黒天(だいこくてん)と恵比寿神(えびすかみ)の像を並べて祀ることがあったようです。大黒天は商売繁盛や財運を、恵比寿神は豊漁や幸福をもたらし、両方の像を一緒に祀ることで、商売繁盛や家庭の安定、幸福を願う習慣でした。現在でも風習があるようですが、一般的には減少しているようです。
楓稲荷神社
宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)
金運向上、 産業振興、 商売繁盛、家内安全、 五穀豊穣
古事記では、須佐之男命と大山津見神(=山の神)の娘の神大市比売(かむおおいちひめ)との間に生まれた子が、宇迦之御魂神と言われています。
鮮やかな鳥居の朱色が、緑の自然の中に色濃く映えています。
池の水が水路を流れていく音に癒されます。
吉備神社
吉備津彦命(きびつひこのみこと)
服飾繊維、和洋裁、手芸の守護
2月8日に針祭が行われます。使い古した針は、針塚に納められ、感謝の気持ちを込めて供養されます。
岐阜東照宮
徳川家康公
出世開運、商売繫盛、開運厄除、健康長寿、学業成就、勝負運、金運
岐阜東照宮社殿の創建由来
以下は、「岐阜東照宮」案内板の要点をまとめたものです。
江戸時代、岐阜奉行所には「五箇条の法度」と家康公が発給した「伝馬朱印状」の二通の文書がありました。それらと共に、御神霊が岐阜東照宮として奉行所に祀られたのが始まりです。
明治維新後、奉行所が廃止されると、御神霊は岐阜市役所内に遷座されました。しかし、祭祀が途絶えたことを憂いた市民が、御神霊を伊奈波神社境内(愛宕山内)に鎮めました。
明治24年の濃尾地震により、社殿が焼失しました。その後、和歌三神社・須佐之男神社・天満宮と合わせて4社が合祀されました。令和3年には新しい社殿が造営され、現在の場所へ遷座されています。
参考資料:「岐阜東照宮」案内板 岐阜東照宮奉賛会
金山神社・愛宕神社
金山彦命(かなやまひことのかみ)
事業繁栄、身体健康、金運、財産運上昇
金属全般の神様
金山彦命は金山毘古神(かなやまびこのかみ)とも呼ばれ、鉱山の神様です。
伊邪那美命(いざなみのみこと)が火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)を生んだ際、火傷を負います。
その折、嘔吐したものから成った神が金山毘古神と言われています。
参考文献:執筆 茂木貞純 加藤健司『神話のおへそ』「第1章神話の世界を読むⅠ」、監修 神社本庁、発行所 株式会社 扶桑社 p. 43、2012年2月20日初版発行
秋葉神社
火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)
防火、防災、家内安全
伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命の間に生まれた火の神様です。
伊邪那美命(いざなみのみこと)は、火之迦具土神を生んだ時の火傷が原因で亡くなります。
伊邪那岐命は、悲しみのあまり、火之迦具土神をあやめました。
その時、火之迦具土神の体から神々が生まれたと言われています。
参考文献:執筆 茂木貞純 加藤健司『神話のおへそ』「第1章神話の世界を読むⅠ」、監修 神社本庁、発行所 株式会社 扶桑社 p. 46、2012年2月20日初版発行「神話のおへそ」より参照(監修・神社本庁)
パワースポット紹介
伊奈波神社は、パワースポット巡りが楽しめる神社です。
金華山の一角の丸山にあった頃から、この地に移るまで、手つかずの自然と共存してきました。
自然のエネルギーが宿った神社に参拝して、心身を浄化し、運気をアップしましょう!
パワースポット楼門
伊奈波神社の楼門から、岐阜市街を眺めることができます。
早朝に参拝すると、リスたちが山から降りてきて、楼門の前をエサを求めて走り回る姿が見られます。
その愛らしい姿に心が温まります。
山から朝霧が立ち登り、太陽が昇ってくるのを静かに眺めていると、朝目覚めた小鳥たちがさえずり始めます。
神滝から勢いよく流れ落ちる水の音が、神社に響き渡ります。
自然の音色が心地よく響き、太陽の光が肌を温めてくれるのを感じます。
神聖なこの空間で、心が満たされ穏やかな気持ちになります。
珍しい姿の逆さ狛犬
神門前の階段を上がった両脇に「逆さ狛犬」さんがいます。
逆さ狛犬には、後ろ足を蹴り上げる姿が「飛躍する」というイメージがあり、頭をなぜると運気が上がるそうです。
開運上昇のご利益を授かりましょう。
「ありがとう」も忘れずに(*^-^*)
水の音に癒される松尾神社
大山咋神(おおやまぐいのかみ)
農業守護、 醸造守護、 厄除け、家系繁栄
市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
金運、財運、芸術、良縁、子孫繁栄、海上安全
伊奈波神社へ入る参道右に松尾神社があります。
社殿は、池の中央にあります。礎石に「辯財天講」と書かれています。
昔は弁財天として多くの方が信仰されていたそうです。
神滝の水が、水路をつたってこの池に流れてきます。水の流れる音が心地よい癒しのパワースポット。池には鯉が泳いでいます。
池の横に休憩場所があります。参道入口に薄皮たい焼き福丸さんがあります。ベンチに座ってお茶を飲みながらたい焼きを食べるのはいかがでしょうか。
絶大なパワーの黒龍大神
黒龍大神・龍頭岩
黒龍大神は、昔からこの土地に鎮座されている神様です。
御神徳が高く、強く願えば、その願いごとをかなえてくれるといわれています。
お参りの仕方は、「祈願するときに黒龍福成る守を三回打ち鳴らして願いごとを強く祈ります。
すると、黒龍大神の御神威が増し、ご利益が授かりますよ」と神職さんがおっしゃっていました。
あらためて黒龍大神の前でお参りすると、とても強い力を感じます。「黒龍玉守」を身につけていると安心感があり心強いお守りになっています。「龍頭岩」は、鮫(わに)の頭にも見えます。日本神話に登場する海神の豊玉毘売命(とよたまびめのみこと)も鮫の姿で子どもを産んだとされています。鮫は海神であり、龍神でもあるのかもしれません。考えをめぐらすほど、神話の奥深さに魅了されます♪
パワースポット神滝
昔この滝で、身を清めるために水浴をしたり、参詣者向けに夏の間、涼をとるための「水茶屋」も設置されていたそうです。
雨の日は水量が多いです。山から流れ落ちる、清らかな滝の水がリラックス効果を生みます。
パワースポット烏帽子岩
烏帽子岩
旧伊奈波神社に「烏帽子岩」が鎮座しています。
その「御神石の影向石」(ようごういし:遠くにいらっしゃる神様を遙拝する石)として境内に安置されています。
知恵授けや頭の病気の御神徳があるそうです。
御足台石
烏帽子岩の隣に五十瓊敷入彦命が長良川を船で渡った時に踏み台にした「御足台石」が祀られています。
烏帽子岩の後ろに立つ木にはクモの巣がはりついています。
カメラを向けると、光が反射して、葉が光っているように写ります。
烏帽子岩を見たときは、何の石だろうと思いつつも、お参りしました。
伊奈波神社のホームページには、烏帽子岩が霊験あらたかな御石であると記載されています。烏帽子岩にお参りして上を見上げると、やさしく包まれるような気持ちになります。
伊奈波神社全体が山のエネルギーに満ちたパワースポットです。
豊かな自然あふれる山から流れてくる空気や、水の音で心身が浄化されるようです。
伊奈波神社基本情報
基本情報
名称 | 伊奈波神社 |
住所 | 岐阜県岐阜市伊奈波通り1の1 |
電話 | 058-262-5151 |
FAX | 058-262-5153 |
駐車場 | 有 30台 |
アクセス | JR岐阜駅‐バス(12・13番乗り場)約10分‐バス停伊奈波通り‐徒歩10分‐伊奈波神社 名鉄岐阜駅‐バス(4番乗り場)約10分‐バス停伊奈波通り‐徒歩10分‐伊奈波神社 |
参拝時間 | 24時間 |
ホームページ | https://www.inabasan.com/ |
駐車場
伊奈波神社の駐車場は、第一鳥居の右側に車道があります。
坂を上がり、参拝者駐車場の案内板が見えたところが入口です。
まとめ
五十瓊敷入彦命の生き方から学べたこと
今回、伊奈波神社の主祭神である五十瓊敷入彦命を取り上げた記事にしました。
これまで、私は伊奈波神社がどのような神様が祀られているのか知らずにお参りをしていました。
しかし、伊奈波神社の歴史を学ぶことで、神様が武勇と開拓の精神を尊ぶ方であることを知りました。
五十瓊敷入彦命の生き方に触れ、「自分の人生を切り開き、より良い未来を築いていけれますように」と願うようになりました。
以下は、五十瓊敷入彦命の人物像から得ることができるものをまとめました。
誠実さ | 人と信頼関係を築く上で欠かせないもの |
責任感がある | 自分の判断に自信を持ち、失敗を恐れず義務を果たす |
困った人々を助ける | 弱い立場にある人を支援し、社会活動につなげていく |
権力争いをしない | 謙虚であれば、対人関係を円滑にすることができる |
文武両道 | 心身を鍛えることは、将来のさまざまな可能性を広げることができる |
五十瓊敷入彦命は、現代社会においても、私たちが生きていくためのヒントになるのではないでしょうか。
五十瓊敷入彦命の行動や価値観は、今日の世界でも誠実さや責任感、謙虚さの重要性を示唆しているように思われます。
そのような五十瓊敷入彦命の人格に一つでも近づきたいと、自分自身を見つめ直す良い機会となりました。
(これらは、伊奈波神社の伝承から得た私個人の意見です。)
伊奈波神社の朝は、パワーに満ちている!
伊奈波神社のパワーをより強く感じたいなら、朝の参拝をおすすめします。
空気が澄み渡り、神社のパワーを体感できます。
この感覚は、心身を整え、安定させる効果が期待できます。
伊奈波神社の人気の理由は?
伊奈波神社は、岐阜市内にありながら、手つかずの自然の山があります。
そのパワーは大きく、いつでも気軽に参拝できます。
本殿、境内にある多くの神社には、たくさんの神様が祀られ、諸願成就のご利益があります。
主祭神の五十瓊敷入彦命の御神徳は、「水防」をはじめ、弓矢の名手であったことから、「縁結び」のご利益もあるのではないでしょうか。(弓矢は「射止める」という意味があるため、縁結びとして広く知られています。)
授与所には、縁結びのお守りもありますね(^^♪
伊奈波神社は、四季折々の美しい景色を楽しめるところも魅力です。
春は桜、夏は新緑、秋は紅葉、冬は雪景色と、いつ訪れても心を癒してくれます。
そういったところが人気なのだと思います。
初詣だけでなく、日常的に訪れたい神社です。
心身を癒し、ご利益を授かりたいときに、ぜひ足を運んでみてください。
伊奈波神社参拝される時、この記事がお役に立てられれば幸いです。
最後まで、読んでいただきありがとうございました!
伊奈波神社の御朱印記事はこちらから
参考文献
執筆 茂木貞純 加藤健司『神話のおへそ』「第1章神話の世界を読むⅠ」、監修 神社本庁、発行所 株式会社 扶桑社 p.43,46, 2012年2月20日初版発行
稲垣和秋、『岐阜のつたえ話 三社ものがたり』 (イニシキイリヒコノミコト)、p. 37-p. 39
古田雅通、『岐阜のつたえ話 三社ものがたり』(イチハヤオノミコト)、p. 102-p. 104
編集 三社ものがたり出版委員会、公益財団法人 岐阜市教育文化振興事業団発行、理事長 飯沼隆司
筧真理子 “平成19年1月号/伊奈波神社の縁起と金華山の異名” 伊奈波神社ホームページ 伊奈波神社について 広報コラムno8,(2023年10月7日取得 https://www.inabasan.com/wp/wpcontent/uploads/2021/09/19_1.pdf)
筧真理子 “平成23年1月号/美濃国第三宮因幡社本縁起事 読み下し文” 伊奈波神社ホームページ 伊奈波神社について 広報コラムno16,(2023年10月7日取得 https://www.inabasan.com/wp/wpcontent/uploads/2021/09/23_1.pdf)